泰継はころりと寝返りを打った。御簾が降ろされていても、もう夜が明けているのはわかる。
しかし、この気だるい光は何だろうか。
起きたいという気力までもを奪い取り、こうして泰継は未だ寝所にいる。
灰色に曇った空と澱んだ空気は京中を覆っているのだが、安倍の屋敷、この狭い世界した知ら
ない泰継にそれを知る術はなかった。
澱みが瘴気と呼ばれている事も。
朱雀門の内側では、夜も昼も加持祈祷が行われているのだ。
瘴気・・・蔓延する疫病。
夏を迎える前に訪れる、この長雨の月は、死者の月だった。
都は死に包まれ、内裏の中へもそれは忍び込む。
打ち捨てられた死体が腐り、それが新たに汚れを呼ぶ。そんな・・・季節。


「・・・時親」
泰継が扉を開いた。
今日は他に人の気配がないのを確かめてある。以前のように、追い払われる事がないようにと。
人がいない時親の部屋はがらんと広かった。室内を区切る几帳の類が一切ないせいもあるだろう。
床に置かれた式盤がからりと音を立てて回された。天と地、陰と陽、この世の過去と未来を見通す
という物だ。
回転させたのは現代の安倍家当主。
不快な蒸し暑さに衣の襟を緩め、珍しく寛いだ姿で時親は脇息に凭れていた。
「どうした?」
顔を上げもせずに時親が問うた。
「私にもわからない・・・」
入り口で足を止め、泰継は薄暗がりにいる時親を見つめた。
「わからぬのにここへ来たのか?」
「しばらく永泉が来ない。独りではわからぬ事を解決など出来ぬ」
「そうか。ならばおいで」
時親がくすりと笑った。
言葉だけは惑う事なく喋るのだが、知らない事が多すぎる泰明が可愛くもあり、愛しかった。
顔も知らない祖父、稀代の陰陽師と呼ばれた安倍晴明の陰気を持って作られた器。
それは目覚めてより多くの時を生きてはいないが、あまりにも無垢だった。
体は男を受け入れさせられ、快楽を教え込まれているが・・・それでも崩れない何かが泰継には
あった。
「時親は知っているのか?」
目の前に近づいた泰継が膝を折った。
「さて、おまえは一体何を言っているのか」
「最後に会った時にはもうおかしかった。永泉が来ないわけを・・・時親・・・」
「彼もずいぶん好かれた物だ」
「そんなわけではない・・・!」
ついと伸ばされた手に細い顎を捕えられて泰継の声が上擦った。
「己の気持ちがわからぬだけだ。・・・だが・・・」
時親の表情が翳った。
「時親・・・?」
泰継の脳裏で何かが光った。直感とでもいうべきだろうか。表しようのない不安が起こったと
同時に全身に広がる。
「永泉の所に行く」
「この屋敷から出た事もないおまえがか?」
「何かが・・・彼に・・・」
立ち上がりかけた泰継の手首を時親が掴んだ。
「ここより出る事は許さぬ」
「離せ・・・」
捕えられた腕を振り払おうとした泰継だったが、それは容易に遮られた。
「命令だ」
「聞けぬ!」
叫んだ泰継は抗いがたい力で押し倒された。
「嫌だ! 時親!!」
襟から差し入れられた手が胸に咲く赤い乳首を摘んだ。
「ああうっ!」
びくりと泰継の背が撓った。
「もうあの法親王に会う事など出来ぬのだ」
時親の言葉の意味を問いかけた唇は掌で押さえられた。
「うう・・・っ」
袴もつけずに着流していただけの衣は簡単に奪われてしまった。
夏が近い大気の中、うっすらと汗ばんだ白い肌が剥き出しになる。
首筋に舌が這わされてぞくりとする快感に泰明が総毛だった。感じる場所は知りぬかれている。
何処を責めれば泰継を逸早く屈服させられるか・・・。
「泰継、覚えておくと良い。人の世にあるという事は・・・別離の繰り返しだという事を」
膝が掴まれ、脚を広げさせられる。
「造られたおまえの生命がどれほどであるかわからぬが、それはおまえの終焉まで続くのだ」
体が折り曲げられた瞬間、泰継は貫かれていた。
「−−−−!!」
悲鳴は封じられ、くぐもった音となった。
「・・・うっ、くぅ、うぅっ」
慣らされる事もなく穿たれた秘所から裂ける激痛が沸き起こる。
時親の腕に縋った泰継の手が固く握り締められた。
「泰継。意識を私に同調させよ」
ふいに時親が耳元で囁いた。
「未熟なおまえ故、極限まで追い詰めなければ精神の核は現れぬ。今ならば・・・」
深く突き上げられた泰継が瞳を見開いた。
涙で霞む視界の先に、闇を写し取ったかのような黒い双眸があった。
その漆黒が網膜に貼りつく。
「あ・・・」
浮遊感を感じた。
泰継の心が肉体から切り離された。

遂に薫風も10回目。すごく長いです。でもまだ終わりが・・・見えているようで、見えないです。