鋼を感じさせるほど、鋭く細いそれは容赦なく泰明の全身に食い込んだ。首から下、体の
全てをそれはくまなく絡め取り、泰明を壁に縫い止めている。
既にそれによって皮膚が破れた場所は数え切れず、滴る血は溜りとなっていた。
「う・・・」
呼吸すらが阻まれる。
苦しげにうめく度、また新たな痛みが起こり、秀麗な顔に苦悶が刻まれた。
纏った白と黒の狩衣は赤い模様に彩られている。滲むようにじわじわと広がり、今では緋が
一番勝っていた。
幾度となく解こうと試みてはみたが、術は吸われるように拡散するばかり。痛みによって正常
な思念さえ遮られる。
「そろそろ無駄な努力を諦める頃か?」
闇の中に蛍火に似た明かりが一つ灯った。
「おまえに絡んでいるのは女の髪を寄り合わせた物。情念は天に広がる星々の海ように深い」
扇の先で項垂れた顎がくいと持ち上げられた。
痛みに知らず浮かぶ涙で潤んだ先に、硬質な仮面を被った男がいた。表情を伺わせない中、
瞳だけが暗い光りを湛えている。
「鬼が・・・」
呟いた唇はからからに乾いていた。堪える為に噛み締められ、端は切れて赤黒い塊があった。
「まるで、人のように私を蔑むか? おまえが」
アクラムが嘲笑した。
「人とは違う気配がする。・・・私がおまえに興味を持った所以だ」
「何を言って・・・」
「声が上擦っているが?」
抑えきれない動揺は簡単に察知されてしまった。
「私達に近い存在ではないかと考える事は、あながち間違いであるとも思えぬ」
人とは異なる力を持つ彼は、はっきりとわからないまでも泰明が人ではないと気づいているのだ。
実際、桔梗の花の中から作られた器に陰の気を詰められた物が泰明なのだから。
「例えそうだとして・・・おまえに何の関係がある」
「そうだな・・・。私の側に置いてみるも一興。人の世で味わえぬ栄華もいずれ思いのまま」
「くだらぬ」
口にした瞬間、扇で頬を打たれた。細く尖った竹が泰明の皮膚を破り、一筋の血が新たに刻まれた。
「無理にとは言わぬがな。どの道、放置しておけばその多量の出血。長くは保つまい。例え妖かしと
いえど、な」
青ざめ、項垂れた顔は自分で上げる事も出来ないほど消耗していた。体を支える力も当然なく、
細い紐が食い込むに任せている。
くく、と冷たく笑ったアクラムが一片の白い紙を取り出した。
「陰陽師の真似事でもしてみようか」
空中に投げられたそれは鳥の形を取り、二人の周囲を巡った。
「さて、ここに誰が呼び寄せられるか。おまえを思う者がいれば、の話だが。もうあの鳥の役目が
わかっただろう?」
闇に消えた鳥の白い残像がしばらく泰明の瞳に残った。
「これから先どうなるか、楽しみだな」
アクラムの姿もまた、溶けるように闇に消えていった。ただ、鳥のようにいなくなったのではない。闇と
同化し、近くに存在しているのを泰明は感じていた。


霞みかける意識を泰明は必死に繋ぎとめていた。瞳を閉じてしまえば、深遠に飲まれてしまう事が
わかっていたから。
身を苛む苦痛が、皮肉にもそれを助け泰明の命をこの世に止め置いていた。
突然、空気が切り裂かれた。
うなりを上げて飛来した一本の矢が何かを霞め、泰明の傍らに突き刺さる。驚きに泰明が瞳を見開いた。
視界に映る矢。一人一人違った巻き方をする羽飾りは、白と新緑に飾られていて・・・。
この飾りを泰明は知っていた。
「何故、来た・・・」
乾いた唇が掠れた言葉を紡いだ。
「これはつれない。・・・っ」
ざっと絹が翻る音がした。闇の随所に炎が灯り、それが友雅に襲いかかる。光りが泰明を姿を浮かばせ
血まみれの全身を友雅に晒す事となった。
「泰明・・・」
矢を番える事もせず、弓で炎を払うだけで友雅は泰明に近づいた。
紐を解きにかかった彼に泰明は悲痛なうめきをもらす。
「わかっているのか・・・。おびき寄せられた事を・・・」
「勿論だ。だからとはいえ、放ってはおけないだろう?」
アクラムに背を向ける形となった友雅の背後に炎が集まり出した。
「止め・・・、友雅、後ろ・・・」
気づいているはずなのに、友雅は紐に掛ける指を外そうとはしなかった。きつく泰明を苛む紐は容易に
緩みはせず、友雅は軽く舌打ちした。
「駄目、だ、−−−−!!
泰明の叫びと同時に、耳を覆いたくなるような鈍い音が響いた。ふっと自由になった体が崩れていく。
それに友雅が被さり、二人は床に落ちた。
背を抱いた泰明の手に塗れた感触があった。
翳してみれば、血。泰明の流した物ではない事は、迸る量の多さから伺える。
「疾!」
泰明が呪を口にした。
部屋に満ちた気が鳴動する。消耗を強いられた体では身固を行う印を結ぶ事さえ困難であったが、
泰明は唇を引き結び、震える指を握った。
「夫レ神ハ万物ニ妙シテ、変化ニ通ズル者也、天道ヲ立テ陰陽トイフ、地道ヲ立テ是レヲ柔剛ト呼ビ、
人道ヲ立テ是レヲ仁義ト名付ク、三才ヲ兼ネテ此レヲニツニス・・・」
小さく、それでいて場を圧せずにはいられない霊符次第が、しじまに流れた。
護られるのは性に合わないな、と取りとめない事が友雅の脳裏に浮かんだ。
しかし、呪を妨げる愚を知っているからこそ、泰明の細い腕に抱かれるままになっていた。
ただ手は、投げ出した弓を探り床の上を滑った。調伏ではなく泰明をこの場から連れ出す為に。
闇に落ちていく前に。

10000のきり番リク、若葉マーク様より。
友泰でアクラムが出てきます。後一回で完結です。大変遅くなって申し訳ありません。
一体何時の? とか言われてしまいそうですが・・・。