両手で抱えなければならないほどの荷物が泰明の元に届けられたのは、卯月も
終わりに近い朝だった。
門扉を開きに屋敷の表に出た時、放置されていたのだ。
泰明に与えられている東の対屋に足を踏み入れる者は師の他にはなく、気づか
なければそのまま野ざらしにされていただろう。
差出人の名は書かれていなかったが、代わりに小さな黒曜石が飾られていた。
それだけで泰明には充分だった。
この石は、閉じ込められ、縛められた泰明が最初に与えられた物なのだから。
家具調度の類がほとんどない泰明の部屋には、大きな包みは必要以上に目立った。
固く包まれた結び目を解くのももどかしく、上手く動かない指にむしょうに苛立つ。
呪を唱え、言霊を綴る手が、気が揺らぐと意思を裏切って自由を失う。
「これは・・・」
ようやくの思いで開いてみた中身は、純白に薄紅の花弁を散らした狩衣だった。
その紅より濃い緋の単と重ねに、明るい青の袴。目を奪うばかりに見事な絹の衣装が
欠ける事なく一揃い収められている。
泰明が、添えられていた紙片を取り上げた。
流れる文字は泰明を表へと誘っている。
咲き始めた桜の元へと。
体に当ててみた着物は、あつらえたようにぴったりだった。幾度も抱かれたが故に、
身体全てを知りぬいているのだろう。
それが恥ずかしい事に思えて、泰明は一人赤面した。
開け放たれた縁から庭先へ瞳を向けると、そこにも桜があった。風に舞う小さな
花びらが、終わったばかりの冬の雪のようだった。
迎えた二度目の春。
重く垂れた京の空が、青い色を取り戻すのが春の訪れの徴。寒さに震え、閉じられた
室内に一人いる淋しさが消える季節。
・・・否。今の泰明には淋しさなどなかった。
望めば、包み、抱きしめてくれる腕があるのだから。
手早く衣装を整えた泰明だったが、被り物の段になって動きが止まった。
今日はまだ結う事なく長い髪はなびかせたままだ。紺の立烏帽子を見つめ、泰明に
戸惑いが浮かぶ。
「これは見事な公達だ」
「・・・師匠!」
ふいに掛けられた声に泰明がびくりと竦んだ。
涼しげな眼差しで晴明が佇んでいた。近づく気配も、まして扉が開けられた事にも泰明は
気づかなかった。
慌てて泰明は膝をつこうとしたが、長い裾に足を取られた。
無様に横転しかかった体を、すばやく晴明が支える。触れ合う衣擦れも、絹特有の優しい
音だった。
「朝の仕事を投げ出してしまうだけの事はあるな」
泰明を床に座らせ、晴明もまたゆったり腰を下ろした。
「あ・・・」
「構わぬ。あのような雑事などおまえでなくとも出来る事だ」
伸ばされた手が、狩衣を辿った。
「単ではなく狩衣の地に純白とは、珍しい色を用いている」
「おかしいですか?」
「いや、おまえには良いだろう」
送り主の事に晴明は触れなかった。わかっている事をあえて尋ねる愚かしさに使う言葉など
持っていないのだ。
「烏帽子をつけられるよう、髪を結ってやろうか?」
泰明の戸惑いなど承知しているとばかりに晴明が言った。
「元服していないおまえが、それの被り方を知らぬのは当たり前だ」
着物から髪へと移った指が、軽く色の薄い流れを梳いた。
「櫛を出しなさい」
「・・・はい」
頷いた泰明が小さな行李から櫛を取り出した。両手で軽く持てる程度のその小箱の中が、
泰明の私物の全てだった。
それすらも、新しい物は少ない。櫛などは、初めて髪を結った時から使っているせいで、
歯が二つ欠けている。
「お願いします」
背を向けて座った泰明の髪に晴明が櫛を入れた。
「衣装まで用意したという事は、おまえに身分を隠して参れという事だろうな」
「そう、でしょうか」
「少なくとも、陰陽師の姿ではないな」
華やいだ狩衣の花弁は、闇を操る陰陽師に相応しいはずがなかった。
高く結い上げ、一纏めにした髪から後れ毛が一筋落ちた。
「その姿故に幼名を与えはしなかったが、おまえに元服をさせる気は私にはない」
「何故・・・」
泰明が顔を上げた。
「・・・っ、」
「急に動くからだ」
髪を引かれた泰明がうめくのに、晴明が苦笑した。
「おまえにはこの春より官位が与えられるよう推挙するつもりだが・・・。成人したとは、
自身、思えまい?」
背後から晴明が細い泰明の顎を捕らえた。
「師、匠・・・」
「そうだろう?」
ぎり、と柔らかな肉に食い込むほど指に力が加えられた。
「痛・・・、止め・・・」
「顔の呪いを今日だけは薄めてやろう。衣冠を正しても呪を残したままでは、おまえの
身元を暴露しているのに等しい」
「あ、あ、あ・・・」
晴明と触れている場所から言い知れない熱さを感じた泰明が身を捩った。
「呪はおまえの制御しきれない力を抑える役目もある。長く外す事は出来ぬと、心して
おくが良い」
表へと向かう途中、促されるまま泰明は鏡に姿を映した。
白い顔と、それよりも尚白い純白の狩衣。散らされた模様と襟から覗く単と重ねが緋に
映える。
呆然と立ち尽くす泰明の背を晴明が軽く押した。

季節ねたの花見物。
友泰なのに前編は友雅出て来ないですね。
ずいぶん前に書いたDOLLの関連作品です。お忘れの方は過去のこのシリーズを
読み返してやって下さい。