以前訪ねた時は、たかが陰陽師と門前で阻まれた物を、その日は何事もなく
すんなりと迎え入れられた。
衣を正すだけでこの変わりように、泰明は内心呆れもした。
満開を少しばかり過ぎた桜から散る花吹雪が、雪のように眼前に開けた。
無数に植えられた桜は見事なまでに咲き誇っている。広大な庭に流される人工の
遣水と、造られた山。そちらが今日の趣向の舞台だった。
視界を遮る花に目を眩ませた泰明の腕を何者かが捕らえた。
「−−−!」
「おや、ひどく驚かせてしまったようだ」
「友雅・・・」
「一度衣冠を整えさせてみたかった。さあ、おいで」
引かれるまま泰明は歩いた。降り積もった花が足に踏みしだかれて無残に土に塗れた。
庭に面した濡れ縁に促されて友雅と並んで腰を掛ける。見なれぬ顔に周囲の視線が
集まったが、それも一時の事、客達はすぐに思い思いの楽しみに戻った。
「口を開いて、泰明。酒を飲ませてやろう」
友雅が微笑んだ。白い杯にはすでに濁り酒が満たされていた。ふっと友雅を見つめたが、
泰明は素直に赤い唇を開いた。
「良い子だね」
結い上げられたせいで露になっている泰明の項に友雅の指が滑った。
「な・・・」
ぴくんと泰明の背が反った。
「くすぐったい? それとも感じているのかな?」
「止めろ・・・、友雅・・・」
「そうだね。美しく乱れる君を他の誰にも見せたくはない」
泰明に酒を飲ませながら、友雅は声を落とし、そっと囁いた。
「今宵の為に、我慢するとしよう」
僅かに震えた体を宥めようとするのか、泰明は自身をきゅっと抱きしめた。
「少しの解れもなくきれいに結ってあるね・・・。誰にしてもらったのかい?」
「師匠が・・・」
上がる吐息に気づかれまいと努めて平静を装いながら泰明が庭へと、顔を背けた。
あまり不審な行いをすれば、人の注意を引いてしまう。あくまでも和やかに屋敷の主と
桜を愛でている風を装いたかった。
「私より花が気になると見える」
「そうかも・・・知れぬ。儚く散っていく花が、人の生命のように・・・」
泰明の腕が伸ばされ、花弁を受け止めようとした。しかし、小さな紅は細い華奢な掌を
あざ笑うようにふわりと擦り抜けて落ちていくばかりだった。
「ずいぶんと感傷的だ」
「私が・・・?」
「違うとでも?」
ふいに友雅が泰明の背を押した。
「君の衣装は陽の下にあってこそ映える。私の為に築山から桜を一枝持って来てくれないか」
「客に依頼する物ではあるまい」
憮然と反論する泰明に、友雅はただ笑うだけだった。


差し出された枝は、友雅に渡る前にも、花びらがはらりと散った。
「運ぶだけでかなり落ちてしまった」
「充分に美しさは残っている」
友雅が細い枝を泰明の狩衣に添えた。
「衣に散らされた花と同じ色だ。これで満開ではないか。そして・・・」
悪戯な指が襟元に触れた。
「濃緋の単、想像通り艶やかだ」
「おまえが選んだのではないか。このような衣装、私は身につけた事などなかった」
「いずれ宮に仕えるようになる。例え下位であるにしても・・・その時知らぬでは恥だ。初めての
着心地はどうかな?」
「動きづらい」
きっぱりとした答えに、友雅は泰明を抱き寄せた。
「では、着せておけば君の抵抗を封じる助けになるというわけだ」
からかわれて、秀麗な泰明の顔が顰められた。
「友雅!」
「大きな声を上げると、他の者に聞こえるよ?」
面白いように反応して体を竦める泰明が可愛くて、友雅は腕に地からを込めた。
「きつい・・・」
泰明がひゅっと苦しげに息を吐いた。
「邸内で樂や歌合せをしているのではない。客達は階の上まで気にするはずもない」
広大な友雅の屋敷である。築山や水辺で遊ぶ者達に、建物の陰にいる二人の細部まで見て
取れるわけがないのだ。
「おまえは意地悪だ」
「今さら知ったとでも言うのかい?」
唇を噛んだ泰明がそっぽを向いた。
「子供らしい、幼い仕草だ」
ぱしりと軽く友雅は泰明の狩衣を打った。衝撃で薄紅の欠片が宙に舞い踊る。
「元服とかもしていないから、私は」
「晴明殿のご意志で?」
顎を捕らえられ、正面に引き向かされる。
「・・・そうだ」
「まだ君に欠ける何かがあるとでもいうのだろうか?」
友雅が呟いた。
「私にはわからない」


・・・桜の花が散りゆく。

こうしてまた泰明に足りない物を探していくのですね。