燭明かりが所々灯されているだけの、薄暗い部屋の中を鷹通はゆっくり
歩いていた。
否、部屋と片付けてしまうにはこの空間は広すぎる。背丈の倍はあろうか
と思われるほどの書棚、それが等間隔に何十列も並べられている広大な
空間。書棚とて、空である場所はごく一部で、上までぎっしり収められて
いるのだ。
書物とは京の戸籍。空いているのはこれから生まれて来る者達の為。
ここは治部少丞である鷹通の務め所であった。
静寂に満ちた場所に、固い靴音だけが響く。歩んだかと思えば時折立ち
止まり、書を手にし、首を振ってまた歩み始める。
探している物が見つからない苛立ちが、若さゆえに押さえきれず、秀麗な
表情から垣間見えていた。
「・・・はあ」
疲れた鷹通が、書棚の間にある柱に身を凭せかけた。掛けている眼鏡を
外し、瞼の上を軽く押さえた。だるい痛みが、疲労の程度を表している。
都人全ての戸籍を保管しているはずの治部省であるというのに。
いくら探しても、彼の名はなかった。


事の起こりは、異世界から来た龍神の神子を始めとする三人の戸籍に
関する事だった。
鬼を退治した後には、いずれ元の世界に戻る−−もしくは残るか−−
であろう者達だが、京に住む以上、必ず戸籍を持たなければならない。
妖し、夜盗などが頻発する中、身を証出来なければ、事が起こった時に
面倒が起きる。
都に生きる人々の枠に嵌めながら、鷹通は八葉の戸籍をも、綴った
書の中から取り出した。
勿論三位以上の貴族、皇族などは何の問題もないのだが、それ以下の
者は鷹通にとっては、警戒対象に値する。日々が忙しく、八葉の束ね
ともなる藤姫が平然と屋敷内に向かえ入れた事で放置していたが、
身分が低い者はその正体をきちんと把握しておかねばならないはずだと、
思い直したのだ。
不穏な存在を神子の側に置くわけにはいかず、そうした者が近付けば、
職務上、自身の過ちになる。京に神子が招かれてより、何をしていたに
だ、と。
三位より下、とあえてくぎったのは、ここ数十年、下の貴族が落ちぶれた
事に由来する。
律令では五位以上を貴族と言うが、都が京に移ってよりは、名ばかりの
者ばかりが増えた。さらに下となれば、庶民と何ら変わりすらない有様だ。
八葉は様々な身分の者から集められているせいか、雑多なイメージが
付き纏う。生まれながらにして、身分高き者として暮らしてきた鷹通に
とって、些か疎ましい関係を結ばざるを得ないのが、辛かった。
表面には表さないようにするには、かなりの努力を要した。意識して
穏やかに振舞ってはいるものの、何時それが綻びるかもわからない。
「武士、平民・・・」
鷹通の指が抜き出した書を広げて、八葉の名を探す。戸籍作りの合間に
行うので、時間は掛かったが、夕刻には調べ終わった。
・・・ただ一人を除いては。
貴族の末端、従七位の者である。彼の戸籍が、ない。
所在地は内裏の鬼門、陰陽博士の地位を持つ安倍清明邸。そして屋敷の
主の弟子の一人だ。身分は明らかにされているのに出生の痕跡がない。
京で生まれれば必ず戸籍に記され、外で生まれたとしても居を都内に定めた
時点で作成される。尤も、他所に生を受けた者が都に移る事などまず
出来はしないのだ。地方に去るのは自由だが、逆は厳しく規制されている
・・・それが京の制度のはずだった。
滅多にない事だが、他所に紛れてしまった可能性もあるとこうして鷹通は
膨大な記録を管理している場所を歩き回っていた。
安倍姓を名乗る以上、師である清明に縁があるのだろうが、一族に泰明の
名を持つ者はいなかった。
「・・・わからぬ」
外した眼鏡を再びつける。少し休んだとはいえ、半日をこの場所で立ち
過ごした体の疲労は濃かった。
穏やかな顔が不快に曇る。
「では誰なのだ」
不確かな者。それが下位とはいえ貴族に名を連ねているのだ。
「これは・・・本人に確かめてみないといけませんね」
叩きつけるように安倍氏を綴った物を閉じた。
苛立ちから手荒に書を扱ってしまった事をすぐに後悔したが、原因がある
だけに怒りが募った。
治部省の仕事は完璧でなければならぬはずなのに。ごく近くに綻びが生じて
いたなどと。
「身の証も立て得ぬ者が貴族だなどと」
位を与えたのが誰かは知らないが、それを平然と受け取った方に非はある。
庶民と同じほど身分が低いにも関わらず、鷹通を含む他者を呼び捨てにし、
取り澄ましたように表情を変えぬ泰明の態度も、憤りに拍車を掛けた。身分
社会の上位に、生まれた時からいた鷹通にとって、それを守らぬ者へは
自然と反発が起こるのだ。
「泰明殿とて、八葉の面前で身を調べられるのは堪らないでしょうから・・・。
治部省の一部を借りましょうか」
左手指を噛んで考え、ふっと項垂れる。
「全ては早く行うべきですね。身分が確定すれば、私も安心する」
口調に抑揚はなかったが、薄い唇が冷たい笑みを刻んだ。
「どうやって、安倍氏をの姓を与えられたか、じっくり尋ねてみたいものです。
稀代の陰陽師と言われる清明殿が取り入られ、だまされるとはとても思え
ませんが・・・。
・・・それとも、時折囁かれるように、人外の者ででもあるというのか」
裾の長い衣を翻して、鷹通は部屋を後にした。

鷹泰第一回目。
鷹通は私自身、ゲーム通り、穏やかな方なのか、暗くきつい方
なのかまだ決めあぐねているのです。
皆様はいかがなものでしょう。
とりあえずこの連載は、ねちねちした鷹通です。
貴族の位は本当の事だけど、戸籍の事はでっちあげなので、
細かいとこは気にしないでやって下さい。知識がないもので。