重い車輪の音を響かせて、牛車が止まった。
「車はここまでしか入れない。降りてくれないか」
「一人で行け」
ぐったり仰向いたまま、泰明は言った。抱かれた体はだるく、
起き上がる気にはとてもならなかった。
「それでは君を連れて来た意味がない」
「関係ない。このように乱れた姿で外になど行けるか」
「従者は下がらせてある。君の為にね。それでも抵抗するなら引き摺り出す」
泰明の冷たい視線が、友雅に向けられた。
しかし、言葉は発せられず、気だるげに身を起こす。力比べでは敵わない事など
わかっていたから。
薄い夜着だけだというのに、懸命に乱れを直す泰明に、友雅が笑みを誘われた。
「何がおかしい」
「いや、可愛いらしいと思ってね。私の腕の中にある艶っぽい君も良いが、その
ような仕草も趣がある」
「馬鹿にするな。これだけの事で。陽の下に乱れた姿など現せるか」
「これだけの事かい?」
肩を竦めて友雅は入口を開けた。先に降り立ち、帳を持ち上げて泰明が出るのを
助けてやる。
強がってはいるものの、朝から狭い場所に閉じ込められていた泰明の足がよろめ
いた。
「大丈夫かい?」
「私に構うな」
伸べられた手を払いのける。先刻散々泣かせた名残を纏っているのに、泰明の
態度はあまりにも素っ気無かった。
それが癪にさわり、友雅が腕を掴んで胸に抱きこんだ。
「離・・・せっ」
振り離そうとして身を捩った先に見えた景色に、泰明が目を見張った。
夏の青々とした緑が広がり、流れる水音が涼を誘う。
「どこだ?」
「少しばかり京の北に抜けただけだがね。高野川も溯れば流れもここまで小さく
なる」
岩だらけの道は、確かに車で入れそうになかった。
友雅に抱かれている事も忘れたように、泰明は周囲を見回している。
生まれて二年。ごく限られた場所しか知らない泰明だ。
「きれいだろう? 暑さを避けるに丁度良いくらいに」
友雅が身を離し、泰明の手を取った。
「行こうか」
「・・・何処へだ」
「本当に煩い口だ。歩くのが嫌ならおぶってやろうか?」
「断る!」
子供のように扱われると感じた泰明が睨んだ。そのまま踵を返し、すたすたと歩き
出す。その態度こそが、幼子のものだと気づいているのだろうか?


いくらも行かない間に、泰明の歩みが止まった。
「少し待て」
「どうしたんだい?」
理由がわかっている友雅が笑み混じりに振り向いた。
泰明は近くの岩に腰掛けて、足をぶらつかせた。その足に靴はなく、土に塗れて
いる。
門を開けに出た所を無理に連れられたのだ。靴を履く事すら出来なかった。
「水につけてごらん」
「大事ない」
「そんなわけないだろう?」
友雅が泰明を抱き上げた。
「・・・嫌だ!」
「おぶわれるのを拒むなら、これしか方法がない」
寄せた唇で耳元に囁きながら、軽く耳朶を噛む。
「あ・・・っ」
「まだ私の抱いた気が残っているのかな?」
「黙れ・・・」
友雅の唇から逃れるように、泰明は首にしがみついた。
抱いた手で体を擽り、さらに泰明の身を捩じらせてから、友雅が清流に近付いた。
熱に火照る脚を水に触れさせてやると、その冷たさに泰明が悲鳴する。
「冷たい、友雅」
「陽が当たらないからね。慣れるとそれほどではない。体ごと浸かってみるといい」
「私は、屋敷以外で水を使った事がない」
心なしか泰明の声が震えている。
このように大量の水の側に寄った事がないのだ。水に対する恐怖は、理由もなしに
泰明にあった。
「戻せ。ここにはいたくない」
「気持ちよくないかい?」
「どこがだ。このような場所に連れる為に私を屋敷から離したのか」
友雅は答えず、一段低い場所に降り泰明の足を取った。
「大分冷たくなったね」
ほっそりした足首から続く足は、水に染まり、肌の白さが増していた。
「何故嫌がる事をする」
泰明が顔を逸らせた。触れられるのを避けようと、足を引いた時、不安定な岩に
掛けていた体がバランスを崩す。
「泰明!」
差し伸べた手も間に合わず、泰明が水に滑り落ちた。深さは膝までもない流れながら、
ショックで瞳に涙が浮かんだ。
「・・・おまえは」
冷たい水に座り込み涙を見られまいと頭を伏せる。白い夜着は水を吸い、透けて
べっとり泰明に貼り付いた。
「その気はないのに、君に酷い事をしてしまう」
髪を掻き上げ、友雅が溜め息をついた。
彼が落ち込んでいるのがわかって、さらに言葉を投げかけようとした泰明は口を噤んで
しまった。

さて、リク頂いていた友雅を落ち込ませる、に辿りつきました。
これからどうなるかはお楽しみにv