「友雅・・・?」
急に彼の雰囲気が変わって、泰明は戸惑った。この何時も
自信に満ちている男が、暗い。
「−−−ああ、君には悪い事をした。さぞ怒っているだろう。
屋敷まで送ってあげようか」
「何故、そう言うのだ」
水で夜着を体に貼りつけさせた泰明が立ち上がる。
「今さら」
左右の色の違う瞳がきつく睨みつけた。
「最初から私は言っていた。それを無理に連れ出し、あげくに犯してまでおい
て・・・」
白い手が伸ばされて友雅に触れた。水の冷たさを纏った泰明の指に、友雅が
ぴくりと反応する。
「ここはあまり人が来ないのか?」
すいと身を屈めた泰明が水を掬った。
「水に澱みがない。京よりいくらも離れていないというのに」
透明な水への口付け。何の変哲もないそこに、精霊でも潜んでいるような気が
して友雅は知らず、腹立たしさを覚えた。
嫉妬という感情だ。今まで、他者が自分にそれを向ける事は限りないほどあっ
たが、まさか己が味わうなどとは、思ってもみなかった。
天地の理を司る陰陽師。故に、全ての者が、泰明の周囲には意識を持って
存在するに等しい。
立ち竦んだ友雅の心の動きなど、気にしていないのか、泰明は平然と再び振り
見上げてきた。
「友雅も来い。私だけが濡れているなど不公平だ」
水を含んでも尚さらりとした泰明の髪が、一抹の風に靡いた。顔に落ち掛かる
のを煩わしそうに掻き揚げ、唇が軽く笑む。
「泰明・・・?」
「聞こえなかったか?」
動かない友雅に苛立ったのか、泰明が爪を噛んだが、すぐにあまり行儀の良い
事ではないと思ったらしく、手を下ろした。
「構わないのかい?」
友雅が首を傾げた。怒っているはずの泰明の言動が理解出来なかった。
「ああ」
「ではそうさせてもらおう。眺めているだけでは本当の涼は取れない」
おかしな言いようだが、ストレートに伝えた方が、泰明には確実に伝わる。
「待て。そのまま来る気か。上掛けくらい脱げ。後でおまえが困る」
「仰せ通りに」
胸に手を当てて、軽く頭を下げ、友雅は帯に手を掛けた。
官位を持たぬ泰明と明らかに身分の違う彼が行った事に、酷く戸惑う。生命を
受けて間もないが、貴族の位階はおよそ知識として得ていた。
彼の師にしても従四位の陰陽博士。三位以上でないと貴族と公言するのも
憚られた時代、その弟子など友雅にとって路傍の石にすぎないはずなのに。
水の中に身を落とし、元通り泰明を見下ろせるようになった友雅が尋ねた。
「どういうつもりだ? 君にしては珍しく私を慰めてくれるとでも?」
「意味などない。水辺に私を連れた。ただ横で見ているだけでは私は落ち着
かない。おまえも暑いだけだ」
裾の長い夜着が動きを妨げるのが気に入らないのか、泰明は顔を顰めて持ち
上げた。
今まで陽に当たったことがないかのような白い脚が、膝の上まで露になった。
友雅などいないとでも思っているのか、ざぶざぶと水をかき分けて進み、流れの
中ほどで頭を出していた岩に掛ける。
つ、と仰け反らせた頭部から、薄い色彩の髪が風景に溶ける。
「−−−気持ち、良い・・・」
泰明は陶然と呟いた。
水面を渡る風。緑の息吹きを間近に感じ、自然と一体になれるような錯覚。
花から創られた存在は、陰陽の力を得て、大気に回帰する術を知っているのだ。
・・・なのに、浮遊するような高揚感が遮られた。
友雅に腕を掴まれ、はっと意識が現実に戻された。
「何をする」
「君が遠くに行ってしまうような気がした」
「馬鹿な。私は一歩も動いてはいない」
「体ではなく、心がだ」
「おまえはわかるのか・・・?」
ただ人であるというのに。
「君の事なら何でもわかりたい」
「無理だ。理に反した私など、師以外にわかる者など存在しない」
掴まれたままだった腕が強い力で引かれ、泰明は岩から水へ落ちた。
「あまり悲しい事を言うな」
友雅が泰明を抱きしめる。
「・・・友雅」
濡れていても、彼の胸は温かかった。
体が密着しているせいで、友雅の熱をいっぱいに味わい、泰明は顔を上げた。
「暗いのはおまえには似合わない」
どちらからともなく顔を寄せて接吻する。
触れ合うだけで済ませるはずだったのだが出来るはずもなく、腰を抱かれて貪り
あった。
離れた時の淋しさが堪えられないとでもいうように。
「君が言うのなら」
僅かに離れた唇から、友雅が囁いた。
「そう、してくれ」
泰明が恥ずかしそうに顔を背けた。なまじ色が白いから、朱が滲むとあからさまに
なってしまう。
「あちらへ」
包んでいる泰明の体を友雅は水際に誘った。
「元気になるのも対外にしろ」
意図に気づいた泰明が拒んで身を翻した。
「何故?」
友雅はもう、以前の笑みを取り戻していた。逃げようとしたのだが、巧みに追い詰め
られ、踝までしか水のない浅瀬に来てしまった。
「止めろ、お願いだ」
「だから理由をきいている」
体重を掛けて泰明を押し倒し、真上から友雅がさらに問うた。
「先ほどの痛みが残っている事くらい、わかれ」
くくくっと友雅が笑った。
「失礼。水の力を借りれば、負担などほとんど感じはしないはずだ」
「おまえという男は・・・っ!」
水を蹴り上げた足首が、引っかけるという目的を達せずに、捕えられた。

これで終わりですv
なつめ様へ。だらだら長々となりましたが、この話を送らせて
頂きます。貰って頂けたら嬉しいです。