それは、黒とも茶とも言いかねる、丸い塊だった。
「普賢様?」
ピンクの包み紙で包まれていた物だが、どうにも不恰好なので、楊ゼンは僅かに眉を
寄せた。機械らしき様子も、仕掛けがあるわけでもない。わざわざ楊ゼンを呼び出した
普賢の真意がわからなかった。
「ふふっ、君にプレゼント」
優しい顔がにっこり笑んだ。あどけなく可愛い印象を与える笑み。しかし楊ゼンはそれが
皮一枚の上辺だけだと知っている。
だから、警戒した。渡された物に触れようともせずに。
「これは食べ物だけど、毒なんて入っていないよ」
笑みを崩さず、普賢が端をナイフで削った。
「ほら」
一片を自身の口に入れ、残りを楊ゼンに与える。
「食べてみて、ね?」
普賢が毒見をした以上、嫌々ではあったが、楊ゼンはそれを含んだ。
「・・・甘い?」
口中にふわりと甘く広がり。欠片は溶けた。
「でしょ? 地上で買って来たんだ。貴重な砂糖と、南方のカカオから作られたチョコレート☆」
紙に包みなおし、普賢はもう一度差し出した。楊ゼンは拒まなかったが、警戒は解かず、
彼を窺う。
「すいぶん君にひどい事をしたからお詫びに」
空色の瞳が伏せられた。憂いのある仕草に、本性を知っているはずの楊ゼンも心を動かされた。
「これはね、加工してお菓子にして好きな人にあげるんだって。如月の14日・・・、明日だよ、に
毎年地上で行われる習慣。この日だけは、堂々と思いを伝えてもいいんだとか」
楊ゼンの頭にある人物が浮かんだ。
「君にもいるんでしょ?」
普賢は頬杖をついて、楊ゼンを見つめた。
「伝わるといいね」
「ありがとうございます」
楊ゼンが頭を下げた。好きでたまらない人に、どう伝えて良いかわからなかった楊ゼンに、普賢が
術を教えてくれたのだから。
「ねえ、僕達和解出来る?」
ぴく、と包みを抱く楊ゼンの手が震えた。
「あのような事をされなければ」
「そう、だね」
「帰ります」
うきうきした足取りの楊ゼンを洞府の入口まで普賢は送ってやった。飛翔した哮天犬が豆つぶ
ほどになってしまうと、堪えきれない笑みが漏れた。
「あはは、あはっ」
柱に寄りかかり、上がってしまう呼吸を必死に押さえる。
「君が好きな相手なんて、あからさますぎてすぐわかっちゃうのに」
後ろで手を組み、んっと胸を反らす。
「どうなるかなあ?」
心眼を持つ者がいれば、普賢に黒い尻尾があるのが見えたかもしれない。
「和解なんて。玩具となんて出来るわけがないのに」
空が灰色に曇っていた。また雪になる気配だった。
「さあて。僕は甘い物が好きってわかってる相手に作ろっかなー」
昨夜の雪が残る庭に、普賢の引き返す足跡がくっきり続いた。


気分が悪くなるほどの匂いに屋敷が包まれていて、玉鼎はこめかみを指で押さえた。
朝から台所にこもった楊ゼンのせいだ。昨日一日外出していたと思えば、今日も修行に向かう
気配もなく、不快感を玉鼎は覚えていた。
書物に目を落しても、いらいらと落ち着かない。自身の感情を持て余してしまう事に、さらに
苛立ちが募る。
甘い物が玉鼎は苦手だった。楊ゼンにも果実以外を与えた事はない。・・・尤も太乙あたりが
キャンディ−などを密かに渡してはいたようだが。それが、何処で手に入れたのか、突然
チョコレートを使い出すとは。
チョコレート、と考えただけで玉鼎は吐き気を感じた。
机がばんっと叩かれる。
爪を噛んだ玉鼎が電話機に手を伸ばした。
「師匠?」
エプロンをつけたまま、楊ゼンは姿を現した。額にはうっすら汗が浮かんでいる。
「ドアを閉めてここに来なさい」
「はい」
示された椅子にちょこんと腰掛ける。楊ゼンの髪に甘い香りが染み付いていて、玉鼎は溜め息を
吐いた。
「どういうつもりだ? 楊ゼン」
「え?」
楊ゼンがふっと首を傾げた。
「おっしゃられる意味がわかりません」
「では言い換えよう。おまえが私の道府にいる理由は何だ?」
「・・・勿論、師匠の弟子として、仙になる為に・・・」
困惑が楊ゼンに起こった。師を見つめて、何時もの穏やかな光が瞳にない事に気づく。74
「弟子として成すべき事を怠っているのではないか? ふらふら出歩き、修行をせぬようであれば、
幼い頃のように玉泉山を離れる事を禁じるが」
「申し訳ありません」
しゅんと楊ゼンは項垂れた。
「務めに行って来ます」
「その前にあのひどい物を片付けて行きなさい。胸が悪くなる」
「僕が作っているお菓子・・・ですか?」
「そうだ。好きな相手に贈る・・・地上の風習をおまえが知っているのには驚いた。だが誰に対して
かは知らぬが、この屋敷でする事はないだろう?」
玉鼎が楊ゼンの顔を右手で掴んだ。ぎり、と指が頬に食い込み、痛みに楊ゼンが眉間を寄せる。
「私といるだけでは足りぬようだな。それを贈り、誰に抱かれたいのだ?」
屈辱に楊ゼンは体を震わせた。思わず手が上がり、玉鼎を強かに打ってしまう。
「あ・・・!」
打たれた玉鼎より、楊ゼンの方が驚いた。
「面白い事をする」
玉鼎の瞳がすっと眇められた。冷たく射られて楊ゼンが竦んだ。
「私が許すまで、自室にいなさい」
「嫌・・・」
「楊ゼン」
「嫌です。師匠なんて大嫌い!」
涙が溢れ、それを見られまいと、楊ゼンは部屋を飛び出した。