何時ものように研究室にいた太乙は、ふいに入って来た影に驚いて振り返った。
「なんだ。楊ゼンか。いきなりでびっくりした。どうしたんだい?」
物言いたげに立ち尽くしている楊ゼンに、声を掛ける。
「未発表の物も多いから、入る前にはノックくらいして欲しいな。で?」
太乙が近寄ると、楊ゼンの顔に涙の跡があるのがわかった。おまけに上着もなくやって来たらしく、
出ている部分の肌が白くなってしまっている。
「師兄と何かあったんだね」
暖炉の前の床に座らせて、屈んだ太乙が青い瞳を見つめた。
「・・・太乙様。僕をここに置いていただけないでしょうか?」
「君を? この金光洞に?」
拒否しようとしたが(師弟の契りは変更する事がまず出来ない)太乙は思いなおした。
「いいよ。ただし、私には理由を話す。それから・・・仕事でも手伝ってもらおうかな」
「わかりました」
「じゃあ早速」
てきぱきと楊ゼンに指示を与え、機械にコードが何本も絡まった場所に太乙は戻った。
「話してごらん?」


「−−−で、家出となった訳だ」
太乙は手を休めた。
「師兄が甘いの苦手ってのは、十二仙の間じゃ有名だよ。一緒に暮らしてて知らなかった?」
「−−え?」
「匂いだけで駄目みたいで。なのにチョコレートとはね」
「十二仙の方は皆ご存知なのですか?」
「そうだよ」
楊ゼンにふつふつと怒りが湧いた。多分普賢は、楊ゼンが贈るであろう対象をも感づいていて、あえて
渡したのだ。
「あの方は・・・」
「普賢もまさか君が師兄に、なんて思わなかったんだね」
十二仙末席の普賢、彼とほとんど接触のない太乙はそう言った。
「わざとです」
「人の事を悪く言わない事だね。いくら君が師兄と諍ったからって、普賢には関係ないだろう?」
太乙が凝ってしまった首を指で揉んだ。
「私はまだここにいるけど、もう君に出来そうな事はないから、掃除を夕餉の支度しててくれる?
掃除道具は階段脇に、貯蔵庫は外。台所の場所は知ってるよね?」
「・・・太乙様」
呆れて楊ゼンは太乙をきつく見つめた。これではまるで小間使いの下男ではないか。
「ただで君を置くほどお人よしじゃないんだ、私は。行きなさい」
太乙がぐいぐいと背を押して、楊ゼンを外に追い出してしまった。

当然のように片付け物と食後のお茶まで要求して、太乙は私室に戻った。
茶器を持って後に続いた楊ゼンだったが、その頃には家出先の選択を誤ったと真剣に悔やんでいた。
とはいえ、金霞洞の他に身を寄せる場所が楊ゼンにない事も確かだった。人界に降りて生活しようとは
考えつかなかった所がまだ子供である。
「茶葉の開き方が今一かな。もっと蒸らさないと」
楊ゼンが首を傾げた。
「どうして暗くされているのですか?」
太乙の部屋は燭が一つ、テーブルにあるだけだった。
「ムード作り」
くすくす太乙が笑い、楊ゼンを手招きした。
「おいで」
「・・・?」
不用意にテーブルを回って近づいた楊ゼンの腕を、太乙が後ろに捩った。
「太乙様!」
抵抗が始まる前に、太乙は袖に隠していた手錠をがこんと嵌めてしまう。
「何をするのですか!」
楊ゼンが睨んだ。自由を失った手を揺すってみるが、外れる気配はなかった。
「こういう相手もしてもらうよ。宿代、払えないのだから、ね」
「止めて下さい、悪ふざけは・・・」
「だと思う?」
楊ゼンの白い項に唇を這わせながら、太乙が囁いた。
「・・・んっ・・・」
「ほら、すぐに体が熱くなる。まんざらじゃないだろう? 君も楽しませてあげる」
「嫌だ・・・あっ!」
思い切りベッドに突き飛ばされ、よろめき倒れた上から太乙は圧し掛かった。細い指が着物の前を
寛げていく。
「僕に触るな・・・」
「金霞洞を出た君は、師兄の庇護を放棄したんだ。上位の者に何をされても、逆らえないよ。
初めてでもないのに、諦めたら?」
胸元をすっかり肌蹴させた手が、赤い果実を掌に弄ぶ。
楊ゼンの全身が総毛だった。
「誰が! 師匠以外の人になんて、太乙様になど・・・」
青い瞳が潤んだ。
「女でもないのに、泣けば許してもらえると?」
下衣を脱がされようとして、楊ゼンが必死に身を捩る。
「感じているくせに」
乳首が指で弾かれた。
「はううっ!」
楊ゼンの背が撓る。
「や、助けて、師匠−−−!!」
「聞いた?」
ふいに−−−
太乙ではない手が楊ゼンの肩を押さえた。
「ひっ!」
驚きに楊ゼンが凍りつく。太乙を拒絶する事に意識の全てが向いていて、第3者の存在に気づかなかった。
部屋をあえて暗くし、太乙もわかりづらく細工していた。
人体の気を押さえ、姿を隠す宝貝、穏行衣が視界に映る。
「・・・師匠・・・」
「保護者のお迎え」
顔に落ちる髪を掻き上げ太乙は立ち上がった。
「30分だけ、私の部屋貸してあげる。師兄、家出息子を宥めて連れてってくれる?」
楊ゼンの額に、玉鼎の頬に軽く接吻して、太乙は出て行った。


「師匠、ごめんなさい、僕・・・」
ぽろぽろと涙が零れた。
「甘い物、お嫌いなの知らなくて、なのに・・・」
玉鼎が抱き寄せた体はひどく震えていた。
私のためにしていたのに・・・な。私の方こそ大人気ない言葉を与えた。どうにもおまえの事となると歯止め
がきかなくなる」
背をさすり、楊ゼンが落ち着くのを待ったが、蒼天の髪の弟子は泣き止まなかった。
「怖かった、とても・・・」
太乙に犯されると思った。自らの意思でないとはいえ、抱かれれば、師を裏切ってしまった傷がついて
まわっただろう。
「茶番だと教えられていなければ、太乙に手を掛けたかも知れぬ。あれは少しやりすぎだ」
玉鼎が苦笑し、自由を奪う手錠を外してやった。
血の気が失せ、痺れた腕がおずおずと玉鼎の首に回された。
「師匠、好き・・・」
「わかっている」
バレンタインのプレゼントがなくても。
「・・・はい」
また、涙が流れた。
「私の弟子はよく泣く・・・だから守ってやりたくなる」
顎を取られ、上向かされた楊ゼンに与えられたのは、キス。
「戻ろうか」
家出をした楊ゼンに、何事もなかったかのように。
「でも、あのチョコレート・・・」
「おまえが作る物だ。努力はしてみよう」
「いいんです!」
赤く濡れた唇で、楊ゼンは訴えた。
「僕が悪いのです。貰った方にきちんとお返ししますので、もういいのです、師匠」
「そうだな。おまえには砂糖のない焼き菓子でも作ってもらおうか」
「いくらでも。テーブルから溢れるくらい」
「楽しみにしている」
ようやく楊ゼンは笑みを見せた。
曇っていた空に陽が射したように。

Happy Valentine for youvv

ウイコ様へ。
甘いという限界を感じてしまいました。これは正確には裏じゃないですね。
どうしよう・・・。
師匠が変な人になってしまってるし・・・。
怒らないでやって下さい(汗)