その山は、冬になるといつも見事な寒椿が数多く咲いた。広大な崑崙山脈
には、人の住んでいないと思われる場所がこうして存在する。
  他よりも雪深いここも、そうなのだろう。
  毎年、楊ゼンは冬になると訪れ、一株ずつ椿を持ち帰るのを常としていた。
  一株では自然を損なうこともなく、次の年には痕跡などどこにも見当たらなく
なる。何十年も続け、いずれは自身が住まう玉泉山も同じように赤い花で覆われる
のを楊ゼンは望んでいた。
  ポトリと落ちる椿を不吉だと云う者もある。しかし、楊ゼンは返って潔いと思うのだ。
  名残惜しげに散る桜より、一瞬で終わる椿の方が好きだから、集め続ける。
  今年も玉泉山に雪が積もり始める頃、楊ゼンは椿を求めてやって来ていた。
  雪を踏みしめるとサクサク音がする。天空に浮かぶ崑崙故、いくら雪が降っても、
地上のように水を含んで重くはならない。粉のように軽く、身に付いたとしても、
はたけば簡単に落ちた。
「寒・・・」
  楊ゼンは自身の肩をキュッと抱いた。道服を厚く何枚も重ねてはいたが、冬の
寒気は容赦なく、体に染みた。
  察したのか、横を歩く哮天犬が身を寄せてきた。大きな犬の体温がじんわり
伝わる。
「ありがとう、おまえは優しいね」
  手を犬の背に添え、ふくふくした毛並みと共に、楊ゼンはさらに奥を目指した。
  赤い色が視界に映り出した。
「見えてきた」
  昨年と変わらず咲く椿に、楊ゼンの顔が綻んだ。自然、歩調が速まり、駆ける
ように花の群れへと急いだ。
  楊ゼンは息を弾ませて、寒椿の中にいた。まだ蕾も多かったが、冬がもっと深ま
れば、見事に咲くだろう。そしてある日、突然終焉を迎えるのだ。
「どれにしようか」
  なるべく若い株を楊ゼンは選ぶようにしている。日月の霊気をふんだんに浴びた
樹木には精が宿る事があるから。若木であれば可能性は低かった。
  仙道達が住まう崑崙では霊気自体が強い。 精であれば変化も出来ず、草木の
ままであっても、みだりに動かす事は憚られた。
  椿を探す楊ゼンの足が止まった。
「精霊・・・?」
  地に人が倒れていた。否、倒れているというよりは、眠っているような・・・。
  楊ゼンより薄い髪は短く、雪に乱れている。瞳を閉じた表情は安らかだった。
  そっと楊ゼンは傍らに膝をついた。例え精霊であったとしても、人型である以上、
冷たい雪に横たわっていいはずがない。体へのダメージを受けているはずなのに
それでも彼は穏やかで。
  触れてみると、楊ゼンが思った通り、肌は氷のように冷たかった。
「あの・・・」
  楊ゼンは軽く揺すった。意外にもぐっすり眠っているようだったその男は、すぐに
ぱっちり目を開いた。大きめの瞳はどこかあどけなさを残している。
「君は・・・ああ、今年も来たんだ」
「僕を知っているのですか?」
「毎年ここに来ているから」
  彼はゆっくり立ち上がった。体を叩いて雪を落とし、両手で何かを包むような形を
作る。ふっと腕の中に機械の球が現れた。幾つか表面を弄ると、二人の周囲に風が
起こった。
  温かい春の風だった。
「え・・・っ?」
  驚いた楊ゼンが視線を巡らせたが、二人の他は、変わらず、冬に存在している。
「心配しないでいいよ。僕達だけだから。自然を壊したりなんかしない」
「あなたは・・・」
  彼が手にしているのは宝貝だ。では精霊などではない。れっきとした仙だ。
「僕? 僕の名は、普賢。・・・でも君が知りたいのはそんな事じゃないよね」
  普賢と名乗った男は、くるりと背を向けた。
「立ち話も疲れるしね。僕の家においでよ」
  にっこり笑って楊ゼンを誘う。
「この山に住んでいるのですか?」
  瞬間、本当に一瞬だけ、普賢の表情がすっと険しくなった。
「うん、そうだよ。小さな所だけどね」
  彼に対する興味もあって、楊ゼンは誘いに応じる事にした。普賢が見せた顔には
気づいていない。


  後について歩いていた楊ゼンは、目にした屋敷に驚いた。
「ここは・・・洞府ではないですか」
  家、と普賢が言ったので、仙位を得たばかりの下仙だと勝手に彼の事を考えて
いたからだ。
「大した物じゃないよ」
  さらりと普賢は口にして、門扉を開いた。楊ゼンの師の屋敷ほどではなかったが、
これほどの規模の道府を構えられるとすれば・・・。
「十二仙でいらっしゃいますか・・・?」 
「そうだけど。君は全員を知らないのかい?」
  楊ゼンは十二仙の中で一番新しい仙の名を思い出した。
「普賢真人様・・・ですね」
「当たり。少し勉強不足かな、楊ゼン」
「どうして僕の名を?」
  くすくすと笑みが聞こえた。
「蒼い髪を持つ者など、崑崙には一人しかいないからね」
  人にはありえない色だから、と言外に含まれている。では彼は楊ゼンが半妖だと
知っているのだろうか?
「さあ、入って」