楊ゼンはためらいがちにドアをノックした。返事はなかったが、鍵が掛けられている
   わけでもないので、そっと暗い室内に入った。
    任を帯び、地上に降りた弟子が戻った事を何と言われるだろう。
    思うと、足が竦んだ。
   「師匠・・・」
    時刻は真夜中を過ぎている。常人ならば、起きているはずのない時間だった。
    寝台に楊ゼンは近づいた。
   「師匠」

    いらえはない。
   「眠っていらっしゃるのですか?」
    垂れ下がる帳を開き、横たわる玉鼎の傍らに跪いた。
   「ただいま、戻りました」
    告げて立ち去ろうとした楊ゼンの髪を、伸びた左手が掴んだ。はっとして顔を上げると、
     深遠の闇色をした瞳が笑みを湛えて見つめていた。
   「どうした、楊ゼン」
    ふいをつかれたあせりが楊ゼンを覆った。
   「・・・あ・・・起きていらしたのですか?」
   「おまえが先ほどから屋敷の中をうろついていたからな」
   「では、どうして・・・、師匠は意地がお悪い」
    玉鼎が体を起こし、ベッドヘッドに上体を凭れかけた。
   「何か用か?」
    寝台の横に立ち尽くす楊ゼンに問い掛ける。
   「あの、・・・」
   「おまえは遊びに出かけていたのか? 簡単に戻れるほど楽な仕事を与えられていた
   とでも?」
    楊ゼンは口を開きかけたが、すぐに噤んでしまった。
   「何故、戻った」
    玉鼎の口調は優しかったが、言外に楊ゼンを責めていた。
   「師匠のお側に・・・今宵だけで構いませんので、置いて・・・下さい・・・」
    消え入りそうな楊ゼンの告白に動じる風もなく、穏やかな応えが返された。
   「そろそろ来るだろうとは思っていた」
    狼狽を浮かべた楊ゼンの肩に手をかけて引き寄せる。
   「・・・師匠は何でも知っていらっしゃるのですね」
    楊ゼンが俯いた。
   「おまえの気の乱れに私が気づかないと?」
   「・・・」
    沈黙が流れた。
    玉鼎はそれ以上の言葉を紡がなかった。
    楊ゼンはいたたまれなくなり、踵を返しかけた。
    逃げようとする楊ゼンの腕を取り、玉鼎が強く引く。
   「な・・・っ!」
    ふいうちに楊ゼンは体のバランスを崩し、ベッドに仰向けに倒れた。
    すぐに起きようともがいた所を押さえ込まれ、唇を塞がれた。
   「んんっ」
    数えきれないくらい与えられた接吻だが、戸惑いに息が詰まった。
    玉鼎の唇が、ゆっくり頬から耳元へ滑る。熱い吐息が囁きとともに吹き込まれて、
     楊ゼンが震えた。
   「私の側にいたいとおまえが言ったのではないか」
    楊ゼンは一瞬体を強張らせたが、頷くと身を玉鼎に委ねた。
    再び合わせられた口唇に、楊ゼンは固く閉じていた口を緩める。
    微かに震える赤い唇を玉鼎は舐め、舌を差し入れて口腔深くを探り唾液を絡めた。
    うめきも漏れないほどの接吻の中から、舌が吸い上げられ、しだいに楊ゼンの
     呼吸が荒くなった。
    口付けの間、玉鼎は楊ゼンの前髪を愛しそうに何度も梳いた。玉鼎の優しさと手の
    温かさが楊ゼンを切なくさせる。
    道服がはだけられ、うっすらと汗ばんだ楊ゼンの肌が露にされた。
    鎖骨をたどっていた手が、ふいに楊ゼンの首にかかり、指先に力が込められた。
   「師匠・・・」
    蒼い瞳が、まっすぐ玉鼎を見つめた。
   「おまえが、愛しい、楊ゼン」
    息苦しくなり、楊ゼンの顔が紅潮した。
   「無に帰して・・・頂いてもいいです・・・、師・・・匠に・・・なら・・・」
    苦しさに目を閉じた楊ゼンに、寂しげに玉鼎は指を離した。
   「そう、出来るものならば・・・」
    楊ゼンの首に紅く残った指の跡を癒すように唇は触れ、開かれた胸を彷徨う。 
    緩慢に玉鼎が楊ゼンの体を愛撫した。
   「師匠、僕は・・・」
   「戻った。私の歯止めを無くす為か?」
    愛撫が強まると、接吻の名残に薄く開かれたままの楊ゼンの唇は、声にならない
    喘ぎを紡ぎ、耳元で囁かれる睦言は、脳を痺れさせた。
    自身の我侭で金霞洞へ戻った事が師を苦しめたのが、辛い。
    楊ゼンが望んだとはいえ、またすぐに離れなければならない関係。もう、昔のように
    何時も側にいる事は出来ないのだ。楊ゼンが完全に独立したならば、徒弟制の仙故、
   玉鼎は新たな弟子を持たなければならない。
    心が痛んだ。
   「何を考えている」
    玉鼎の指がゆっくりと楊ゼンの中心に伸びてきた。
    しかし、じらすように内腿を撫ぜるだけで、一向に到達しようとはしない。
   「師・・・」
    宙に浮いた楊ゼンの手が、玉鼎の夜着の袖を握りしめた。はずみで肩が落ち、
   白い肌が曝された。
    体を起こし、衿を引くと玉鼎は苦しげな表情の楊ゼンに微笑んだ。
   「そんなに欲しいか・・・? でも、まだだ」
    冷酷に楊ゼンの縋る手をはねつける。
   「や・・・」
    涙が、一筋流れた。