「今日は戻れないかもしれない」
    そう言い置いて玉鼎は出かけた。
    独りで残されるのはよくある事だが、楊ゼンはいつも時間を持て余してしまう。
    平素も、一日中玉鼎と共にいるわけではない。しかし、何かをしなさいと言われる
   のと、自分で考えるのには、かなりの差があった。
     午前中いっぱいかけて、掃除をしたり枯れてもいない花を取り替えたりしてみた
   ものの、太陽が中天を迎える時刻には全て終わってしまった。
   「・・・はあ」
     ため息が漏れる。
     竹管を幾つか抱え、陽のあたる部屋で、楊ゼンは退屈な午後を過ごす事にした。


   「あれっ?」
     楊ゼンが気づいた時、周囲は夕方を通り越した暗さだった。初夏を迎えた今の季節
   は、日暮れが一番遅いはずなのに。
   「何時眠ってしまったんだろう?」
     テーブルの上で丸い玉がチカチカ光っていた。それが楊ゼンの意識を浮上させたら
   しい。 
   「言霊か・・・」
     ぼんやりとした頭が光の正体を理解するのには、少しの時間が必要だった。
   「言霊だっ!」
     離れている者同士が、会話を交じわす媒体−いわゆる電話−である。
     楊ゼンが慌てて両手で掴むと、玉はふわりとした光に変わった。
   「おまえのいる場所へ送ったつもりだったが。わからなかったのか? ずいぶんと待た
   せる」
     玉鼎の静かな声が語りかけた。彼はいつも感情を多く表さない。今も、楊ゼンには
   待たされて気分を害しているのかどうかさえわからなかった。
   「すいません」
   「何をしていたのだ?」
   「・・・・・」
     まさか昼日中から眠っていたとも告げられず、楊ゼンは口を噤んだ。
     玉の向こうから苦笑が聞こえた。
   「まあ良い。私に言いたくないような事らしい。
      楊ゼン、やはり今日は帰れそうにない。一人で休めるか?」
   「もう子供じゃありません」
   「そうだったか?」
     玉鼎に見えるはずもないのだが、楊ゼンはぷいと顔を背けた。その仕草が子供特有
   である事に、彼は気づいていない。
     多くの夜を、楊ゼンは師の寝室で彼に包まれて眠っていた。勿論それは全ての夜では
   なかったので、幼子のような言われ方に反発を覚えてしまうのだ。
   「淋しくはないか?」
   「平気です」、
   「私は淋しいよ、楊ゼン」
   「・・・師匠?」
   「おまえの声が聞きたい。私の部屋へ行きなさい」
      楊ゼンの瞳が伏せられた。玉に触れている手が震え、目元は朱に染まった。玉鼎が
   求めているのは、楊ゼンのあの声だったから。
   「行きなさい」
      重ねての命令。
      ふらりと楊ゼンは立ち上がった。
   「自分で慰めてごらん」   
      促されるまま、寝台に身を乗り上げた楊ゼンが驚いたように玉を振り返った。
   「嫌です」
   「何故?」   
   「だって恥ずかしい・・・っ」
   「やりなさい、私の為に」
      抑えた玉鼎の囁きが、ぞくりと楊ゼンの背筋を痺れさせる。
   「何か使うか?」
      言葉が途切れた。
   「おまえを拡げる物があるだろう? 入っている箱を持っておいで」 
   「・・・はい」
      楊ゼンの小さな蕾が玉鼎を受け入れられるようになる為に使われる道具である。
   体を開く事を教えられたばかりの頃は、いつも使用されていた。現在でも・・・。
      大小さまざまな性具が数多く収められた箱は、楊ゼンが両手で抱えるほどの大きさが
   あり、三つの引き出しに分かれていた。
      漆黒に塗られた上に描かれている赤い花の絡まりが、淫らな印象を与える。   
   「一番下の引き出しの中に、瓶が一つ入っているだろう?」
      オレンジ色の液体が満たされている瓶。楊ゼンが目を背けたくなるほど禍々しい物達
   が収められた間に、異質なガラスが光っていた。
   「それに指を浸して、私を受け入れる場所を慰めなさい」
   「ん・・・」
      楊ゼンは道服の裾を捲った。白い雪を溶かしたような脚が露になる。普段着物の下に
   隠れているせいで、そこは他の部分よりも色が薄い。
      瓶の中身を掌に傾けると、とろりとした感触と共に、きつすぎる柑橘系の匂いが広がった。
      思わず楊ゼンは咳き込んでしまう。肺の奥まで、急激に満たされてしまったようだ。
      液体は、油が主成分のせいで、滴ることなく酔うゼンの指に絡まる。
   「さあ、そっと触れてみなさい」   
      秘部に到達した指は、しかし動きを止めてしまった。   
   「どうした?」
      玉がふわりと浮かび、楊ゼンの頭の側に落ちた。耳に近い所から囁かれて体が震えた。
   震えは指先にまで伝わり、蕾を開く力を奪ってしまう。
      自らの身の内を探る勇気が出ない。いつもなら、優しく抱きしめてくれる師が全てしてくれる
   のだ。
      冷たい油だけが、戸惑いと共に、幾度となく楊ゼンの秘唇を潤した。
   「僕には出来ない・・・っ」
      涙が楊ゼンの頬を伝った。
   「では、私がしてやろうか?」
   「何をおっしゃって・・・」 
      楊ゼンが驚いて顔を上げたと同時に、部屋の扉が開かれた。 
      裾の長い道服を纏い、身の丈ほどの黒髪をなびかせた楊ゼンの師がそこにはいた。片手に
   青く光る玉を持ち、軽くもてあそんでいる。
   「ただいま楊ゼン」
   「どうして・・・」
   「私が、自分の洞府に戻るのがおかしいか? ここは、玉泉山に開かれた金霞洞のはずだが」
   「だって今日はお帰りにならないと」
      玉鼎が歩み寄り、楊ゼンの頬に接吻した。舌先が残る涙を拭い取る。   
   「少し悪戯がすぎたようだ」   
   「意地悪です」
      楊ゼンは玉鼎の胸をポカポカと叩いた。 
   「師匠は意地悪です。すごく、恥ずかしかったのに!」
   「私が好きだからだろう?」
      言葉に詰まった楊ゼンの下肢に玉鼎の手が伸びた。
   「あ・・・っ」 
   「充分に塗れているな」   
      擽るように動く指に、楊ゼンが喘いだ。しかし待ち望んでいるのに、玉鼎はただ触れている
   だけだった。
      楊ゼンはじれったさに身を捩った。
   「自分でするのは嫌か?」
   「・・・はい・・・」
   「それで、おまえは私に何を望む?」
      体の下部だけを剥き出した惨めな姿の楊ゼンが強張った。
      玉鼎が白い臀部を撫で、優しくあやして促した。
   「師匠が・・・」
      蒼天を映した髪に表情が隠れるのを赦さず、玉鼎はかき上げた。楊ゼンの顔は血をすかした
   ほどに赤くなっていた。
      新たな涙に潤んだ瞳を震わせ、恥じらいながら楊ゼンは言葉を綴った。
   「師匠が欲しい、僕に、して・・・」
      しがみついた玉鼎の肩口に伏せられた髪を軽く梳いてやる。
   「わかった」
      寝台と部屋とを隔てる布が解かれ、二人の姿が隠れた。

                                                     FIN