楊ゼンは、ある日燕の巣を見つけた。普通ならわからない所にあったので、古くからあるのか、
 今年新しく作られた物かはわからない。
   あの子は私がいない間に、使っていない部屋などを、探検と称してうろついている。二階の、
 東側に窓のある部屋の扉を開けた時、鳴き声が聴こえたらしい。
   尤も、最初は幽霊がいると戻った私に泣きついてきたのだが。
   私の部屋の寝台の中でぶるぶる震えていたのだ。
   小さな体を抱いて慰め、嫌がるのを宥めながら問題の部屋へ連れて行った。結果は、軒先に
 一つの巣。孵ったばかりの4羽の雛の声であった。
 「可愛い、師匠、何という鳥なのですか?」
 「燕だ。冬の間は南の方へ行くのだが、この季節になって戻ってきたらしい」
 「ふうん」
   窓枠に肘をついてじっと茶色い毛並みを楊ゼンは見つめた。綿毛のようなふわふわの塊が身を
 寄せ合って動くのが面白いようだ。
 「みんな兄弟なんでしょう?」
 「ああ」
 「いいなあ。僕も弟とかいたらいいのに。いろいろ教えてあげたり一緒に遊んだりできるのに」
   自分がまだ教えられる事が多いのに、と私は笑いかけたが、確かに楊ゼンの生活環境に問題が
 あるのに気づいた。
   楊ゼンは当然だが私と過ごす時間が長い。金霞洞に住人は私と、身の周りの世話をする者が数人。
 訪れる者は太乙を筆頭に十二仙のみ。尤も下位の者が訪れるはずもない。楊ゼンの周囲には大人
 だけなのだ。
   同じ年頃の者が近くにいないのは、子供の精神的な成長に問題を発生させる事はないだろうか?
   幼い弟子を取った事のない私にはわからない。楊ゼンを引き取るまでは、子供に触れた事もなかった。
 否、遠い昔にはあったかもしれないが、思い出せない。思い出せないようでは経験とはいえないであろう。
 「師匠?」
   楊ゼンが不思議そうに私を見上げていた。
 「どうされたのですか?」
 「何でもない。少し考え事をしていただけだ」
 「僕の事?」 
 「・・・さあ」
   はぐらかしてみたが、時折楊ゼンは驚くほど勘が鋭い。私が黙ったのを、自分が言った事のせいだと
 思ったようだ。
 「僕には師匠がいるから」
   ぎゅっと抱きついてくる。
 「兄弟がいなくっても平気です」
   そういう問題ではないだろうに。自身に言い聞かせるように、私の胸元に顔を埋めている。
   両腕ですっぽり包めてしまいそうな小さな生命。私にとっては燕の雛のように、楊ゼンは慈しい存在
 だった。
   ふいに託された幼い魂は、何よりも大事なものへと変化した。叶う事ならこのまま外の世界を知らせず、
 永遠に私の手元に置いておきたい。
   私にも理解出来ないこの感情。
 「どうしてやる事も私には無理だが、自分を押し殺すな」
 「はい」
 「いい子だ」
   額に軽く接吻を与えてやった。


   以来、楊ゼンは燕のいる部屋で休むようになった。当然、一人で眠れない子供に私も付き合うはめになる。
   毛布とシーツ、・・・マットレスは私が運んだが・・・を持ち込んで、窓を開けたまま夜を過ごす。
   私の腕に抱かれて、眠る顔はあどけなく、全てを委ねる事に対する不安などまるで感じさせない。初めて
 の夜から、こうして楊ゼンを包んでいた。一度は、師と弟子のけじめをつけさせる為に離そうとしたが、涙を
 見せる幼子を拒絶しきれるわけがなかった。
   着せてやった赤いチェックのパジャマが乱れている。はだけた裾を直してやると、楊ゼンが寝返りをうった。
   空色の髪がぱさりと揺れた。金霞洞へ来てから、一度も鋏を入れていない髪は、肩を越えて長くなっていた。
 「向こうへ行くな。風邪をひく」
 「ん・・・」
   意識のない体は引き寄せなければならなかった。

   朝が来た時、楊ゼンは私へのキスの前に雛に挨拶をしていた。
 「楊ゼン」
   呆れて声をかければ、驚いて振り返り、私の頬に口付ける。軽く接吻しあうのは、私が教えた事だ。
 「師匠、おはようございます」
 「おはよう」
 「今日はここで勉強しても良いですか?」
   どうしても雛達から離れたくないらしい。2週間もすれば燕の雛など巣から飛び立ってしまう。それだけの
 期間なので、楊ゼンの言う通りにしてやった。
 「ただし、やる事はきちんとやりなさい。雛を眺めていて一日の勉強が終わらなければ、この部屋に入る事を
 許さない」
 「ありがとうございます。僕がんばります」
 「普段と同じにしていればがんばるほどの何もない」
   少し言い方がきつかったか、楊ゼンがうな垂れた。
   私はどうもこの子供に敵わない。いつも幸せそうに笑っていないと、心が痛むのだ。
 「あっ、お母さんがさんが来た」
   黒い色が視界の端に映ったのか、ぱっと窓に駆け寄る。ピーチク鳴き出した毛玉を見つめる。
   私は背後から楊ゼンを抱きしめてやった。
 「師匠?」
 「もう少しこのままで」
   小さな頭が傾げられたが、楊ゼンは何も言わなかった。
 「・・・行っちゃった」
   親鳥が慌しく飛び立って行った。雛が巣立つまで彼らは一日中餌を求めて飛び回る。
 「大変だあ」
   楊ゼンはくるりと私を見上げた。
 「師匠も大変ですか?」
   耐え切れずに私は笑い出してしまった。
 「師匠ー!」
 「おまえは自分が私を大変にさせていると思うのか?」
 「わかりません」
 「私は子供に接するのは初めてだが、別に苦労していると感じた事はないが」
 「でも僕は師匠のぷらいべーとを奪っています」
   プライベートという言葉が舌足らずに絡まる。夜、毎日私の寝台を訪れる事を一応は気にしているようだ。
 「可愛い子供だ。おまえが側にいればそれでいい」
 「師匠、大好き」
 
   意思があるように、4羽の雛が向こうをむいた。