ばたばたっと忙しない足音が近づいて来たと思うと、部屋の戸が大きく開かれた。
「ししょー」
寒さで耳を真っ赤にした楊ゼンが、息を弾ませて会いたい人を探した。しかし見回して
みても誰はいなかった。
肩透かしを食ったように、小さな足が行き場を失って止まってしまった。
「どうしていないの・・・」
一刻ほど前、二人で浅ごはんを食べた後、玉鼎は部屋に戻ったはずなのに。
調べたい事があるから今日は一人で遊んでおいで、と頭を撫ぜてくれた事を思い出す。
だからがんばって自分でオーバーのぼたんをかけて、耳のついたふかふかの帽子を
被って外に行ったのだ。
・・・耳当ては忘れてしまったが。
すっかり寒くなった玉泉山を回って(屋敷の周囲50m限定)、何時の間にか春が来る
までいなくなってしまう白い鳥達がまだいるのを確認し、落ち葉と探すのが難しくなった
花を摘んで、そして出会った素敵な事を言いたくて、走って戻ったのに。
しゅんと肩を落とした楊ゼンは、暖炉の前に膝を抱えて座った。燃える火に冷たくなった
手を翳す。耳と同じくらい赤い手指は熱に近づけるとちりちり痛んだ。
「ししょー、どこ・・・?」
涙ぐんでしまうほどしょんぼりと火を見つめていた楊ゼンだったが、ふいにぴくりと体を動
かせた。
「誰かいる」
人の気配がした。半分とはいえ、妖怪の血を引く楊ゼンだから、感覚は人よりも鋭かった。
寒いのも忘れて楊ゼンは立ちあがった。
テーブルの下も、クローゼットの中もチェックして、最後に重い幕に覆われたベッドを覗いた。
「あ・・・」
覆いを握る手にきゅっと力が入った。
青い瞳に映ったのは、地に這うほど長く伸びた黒い髪。結われもせずに、自然のまま流さ
れている。滝が流れ落ちるように髪は艶やかに光りを弾いた。
そして・・・その向こうにはもっと薄い色の髪。肩口で切り揃えられた、茶に近い色。
乱れた衣装でベッドに腰掛けた太乙に、玉鼎が被さるようにして口付けていた。
呆然と立ちすくむ楊ゼンに、玉鼎の背に回されていた太乙の手がしっ、と振られた。
あっちへ行けと。
犬でも追い払うような仕草にかちんときた楊ゼンは長い道服に隠れた太乙の足を蹴りつけた。
「うわっ!」
太乙が大げさに叫んだ。
「楊ゼン!」
「何しに来たのですか!」
握った拳がふるふる震えた。大きな目に今度こそいっぱいに涙を溜めて、楊ゼンがせいい
っぱい太乙を睨む。
「なにしに・・・何・・・」
幼い舌足らずな言葉を詰まらせる楊ゼンの襟を玉鼎が摘んだ。軽い体は簡単に床と別れを
告げてしまった。
大人二人に挟まれる形でベッドに座らされた楊ゼンは玉鼎にしがみついた。
「客を拒んでどうする? 太乙は私の友人だ」
玉鼎の手が楊ゼンの髪を撫ぜた。
「だって・・・」
「君は師兄を独占してしまうつもり?」
背後から太乙も幼い頬を擽る。
「んっ!」
嫌がって首を振り、ますますきつく楊ゼンはしがみついた。
太乙が溜め息を吐いて肩をすくめた。
「師兄、甘やかしすぎてない?」
「子供とはこのようなものだろう?」
「ちーがーうーっ!」
今まで太乙は数少ないとはいえ、子供の弟子を持った。反対に玉鼎は、このような幼い者を
引き取ったのは初めてなのだ。
「どうした? 楊ゼン。今日は一人で外に行ったはずだが?」
玉鼎が掛け違ってしまっていたオーバーのぼたんを外してやった。
「・・・聞いてないし」
呆れた太乙が寝台からすとんと降りた。
「気分が萎えた。師兄、埋め合わせ、期待してるから」
「さようなら、太乙様」
「もう少し君が大きくなったら、きちんと決着をつけようね」
ベッド脇の小卓に置いていた明るい色の袍を纏って太乙は出て行った。
「耳も頬も真っ赤だな」
「手もです」
「・・・そうか」
冷たい肌に玉鼎が触れた。子供特有の柔らかい皮膚は、冬の寒さを染み込ませながらも、
内より溢れる生命力でそれを追い払おうとしていた。
「あのね、師匠」
幼い顔が玉鼎を見上げた。大きな瞳がしっかりと向けられている。
楊ゼンは赤子だった時から、こうして玉鼎を見つめ、追った。温もりを知らなかった魂が初めて
得た愛情に必死で縋っているのだ。
「雪が来たのです」
「もうそんな季節だったか」
久遠の時を生きてきた玉鼎にとって、移り行く季節など拭きぬける風のように気にする事も
何時かなくなっていた。
しかし、楊ゼンにすごい物を見つけたように言われると、共に眺めるのも良いように思えた。
「一緒に見に行こうか」
「はいっ」
「だが、風邪をひくといけないから、バルコニーまでだぞ」
楊ゼンを抱き上げて道服で包んでやりながら、玉鼎はそう囁いた。