玉鼎と楊ゼンが住んでいる玉泉山金霞洞には、当然のような顔をした客がしばしば
       訪れる。
        最も二人にしてもその訪問者を客とみなしていない扱いなのだが。
        特に楊ゼンなど、玉鼎との間に割り込まれた気がして、彼の事を嫌い半歩前の状態だった。
        玉鼎より背が低くて、体の線が細く華奢、そして肩口で切り揃えられた色の薄い黒髪。
       十二仙が一人、太乙真人。
        楊ゼンが初めて会った時、子羊のようだ、と太乙は言った。それからも、可愛くないとか、
       おかしな髪の色だとか、彼は散々な事を楊ゼンに対して口にしていた。
        苛められてるのを楊ゼンは自覚している。
        だが太乙にしてみれば、楊ゼンの方が割り込んできた者なのだ。
        今はまだ幼いが、子供時代などあっという間に過ぎる事を、何人もの弟子を子供から育てた
       太乙は知っていた。
         聡い楊ゼンは、玉鼎と自分との関係を薄々気づいているのかもしれないという考えが、太乙
       の性格と相まって苛めるという形で表れているようだ。 
        結局は太乙も楊ゼンも玉鼎を独り占めしたいだけである。


       「楊ゼン」
        台所から太乙が楊ゼンを呼んだ。
        わざとゆっくり、仕方なくという気配を纏わせて楊ゼンが現れた。
       「呼ばれたらさっさと来る事も知らないのかい?」
        白い茶器を手に、太乙が愚痴る。
       「また来られたのですか」
       「玉鼎とお茶を飲もうと思ってね。・・・おいで。君に茶の煎れ方を教えてあげよう。私がいない
       時のために」
        慣れた仕草で太乙が茶葉を選ぶ。
       「何をしてるんだい。君も一緒にやるんだよ」
        楊ゼンを運ばせた椅子の上に立たせた。子供の背が届かない棚は、楊ゼンにとって未知の
       場所だった。しがみつくように背伸びをしている楊ゼンに太乙はため息を吐き、ひょいと抱き上
       げた。
       「うわあっ」
       「こら暴れない。中を見てごらん。いろんなのがあるだろう?」
        様々な形の瓶が数多く並べられていた。
       「暑くなっていくこれからの季節は、あまいくらいのが丁度いい。それを取って」
        くすんだ赤い葉が入っているのを楊ゼンに取らせてから、小さな体を床に降ろした。
       「次は、グラスに湯を入れて温めてから捨てる。グラスが冷たいままだと、茶はすぐにぬるくなる
       からね。
        言われた通りに大きなポットから湯を注ごうとした楊ゼンの手にはねた飛沫がかかった。
       「あついっ!」
       「馬鹿だねえ」
        楊ゼンをひっぱり、汲んであった水の中に指を浸させる。ぽいっと氷を投げこまれて楊ゼンは冷
       たさに顔を顰めた。
       「ちょっと赤くなってるだけだから。痛いのがなくなるまで入れてるんだよ。湯を扱う時には十分注
       意するんだ」
       「・・・はい」
       「ん、素直だね」
        太乙がポットを取り上げた。 
       「私たちは死ぬことはないけど、肉体が傷つけば、人と同じように残るんだよ。火傷でもケロイドに
       なるほどひどければ当然。嫌だろう?」
        まくってみせた太乙の腕には、一本の長い傷があった。切っ先の鋭い鋭利な刃物が、彼の白い
       肌を裂いたのだろう。
       「500年も前のなんだ。雲中子に治療してもらったけど、消えなかった」
       「師匠も背中にあります」
        くるっと太乙が振り返る。
       「どーして君が知っているのかなあ?」
        楊ゼンの額を小突き、バランスを崩した体が後ろに尻餅をついた。
        床にへったった楊ゼンが、きつい瞳を上げて太乙をにらんだ。
       「だって一緒にお風呂に入りますから」
       「・・・お風呂ね。まあ子供じゃそんなところかな」
        ポットに赤い葉を入れると、甘酸っぱい香りが立ち込めた。
       「バラの花が混じってるんだ。大陸の西の方でよく飲まれている。いい匂いだと思わないかい?」
        初めての香りに楊ゼンが頷いた。鼻の奥につんとくるが、不快ではなかった。
       「蓋をしてしばらく蒸らす事。今中では、葉っぱがぐるぐる回っているんだ。短すぎず長すぎず、
       タイミングが大事」
        ずっと玉鼎の為に茶を煎れていた太乙だから、地上にすらあるのが珍しい種類ばかりなのにも
       関わらず、時を計らなくても頃合いを知っていた。
       「君は危ないから、そっちの果実の皿をもっといで。行こうか」
       「え・・・?」
       「君もご招待。天気がいいからバルコニーにでも玉鼎を連れ出そう」
        不信気に楊ゼンが立ち上がる。
       「たまにはね。ああ初めてだったか」
        それだけ言うと、太乙はすたすたと出て行った。
        楊ゼンは重い皿をささげて小走りに彼の後を追った。
                                  

これの後は蒼天白月の楊ゼンサイドへ