「わあ。もう桃の花が咲いている」
太乙は頭上に目をやって、その愛らしいピンクの花を眺めた。開いたばかりの花は慎ましく
青空を背景にあった。
「春が近いね」
言って、視線をまた下に落す。今は洗濯の真っ最中だったから。大きな盥に洗剤を入れ、
使い込まれた洗濯板でごしごしやっているのである。
水はまだまだ冷たく、太乙の指は赤くなってしまっていた。
「う〜〜〜」
手を擦り合わせ、息を吹きかけて少しでも熱を取ろうとする。洗う物は最近宝貝の研究に
没頭しすぎて溜めてしまったので、まだうんざりするほどあった。
ほとんどが絹製(太乙のこだわり)の道服類はクリーニングに出せばいいものの、さすがに
下着関係だけは恥ずかしく、自分で洗う事にしていた。
なまじ多くを持っているから、気づけば大量になってしまったのだ。

犬の鳴き声が聞こえた。
「太乙様−−−」
金光洞の前に広がる草原で、犬と遊んでいた楊ゼンが、太乙に手を振って走って来た。
蒼天の髪を持つ子供−本人はもう子供ではないと否定している−を見て、太乙は溜め息
を吐いた。
「草だらけ。犬の毛だらけじゃないか」
「そうですか?」
楊ゼンがパタパタ服を叩いた。
「脱ぎなさい。一緒に洗うから」
「いいです!」
太乙の背後に回り、冷たい手をそっと包む。温かい楊ゼンの体温がじんわり染みた。
「こんなにされてしまって・・・、ああ、赤切れまで・・・お止めになられたらどうですか?」
「じゃあ誰がこれするんだい?」
苦笑が太乙に浮かんだ。
「働く者をお雇になればいいのです。十二仙の道府で働けるのですから、探せばいくらでも」
取り上げた指をちゅく、と口に含む。
「楊・・・ゼン・・・」
ぞくりと痺れが走った。
「君こそ・・・止めるんだ・・・」
ともすれば、楊ゼンの胸元に身を預けてしまいそうになるのを、意思で反発して逃れた。
楊ゼンからふわりと春の匂いがした。
「私の上着を貸してあげる。君のだけ部屋の火の所で干すからすぐ乾くよ」
「太乙様が風邪を引かれたりしたら、師匠に怒られます」
申し出は断ったものの、着物を渡さない限り太乙は引き下がりそうにないので、楊ゼンは
服を脱いだ。
単衣一枚だけになったが、それだけでは到底寒さを凌げるはずなかった。
「やっぱり着なよ」
太乙が上着を差し出した。
「要りません」
パシリと楊ゼンが手を払った拍子に、軽い絹の上着が風に飛ばされた。
「あっ!」
桃の枝にそれは引っ掛かった。
「僕取ります」
手を伸ばしてみたがわずかな所で届かなくて、楊ゼンは焦った。
「あれ? もうちょっとなのに・・・」
背伸びしてみても無理で、指だけが何度も空を掻いた。
「ふーん」
太乙がふいに声を上げた。
「単衣が白いから君の肌が透けてきれいだね」
「何言ってるんですか!」
「ほら、赤く染まった」
「おかしな事ばかり言われたら襲いますよ?」
楊ゼンがわざと怒った顔を作って振り向いた。腰に手を当て、地面に座っている太乙を見下ろす。
「ねえ太乙様」
「楊ゼン、あまり体重を掛けたら−−」
「え? あ、あ!!」
枝がぽきりと折れた。体を傾けていた楊ゼンは細い木に突っ込んでしまった。
「・・・楊ゼン!!」
色の薄い髪を揺らして、太乙が叫んだ。

「すいません」
あちこちに作ってしまった傷に薬を塗ってもらいながら、楊ゼンが項垂れた。
「いいから。私の為にやってくれたんだから」
しっかり暖炉の近くには楊ゼンの服が掛けられていた。
「お茶でも飲もっか」
「はい☆」
太乙の煎れる茶はすごく美味しいのだ。
「でも・・・」
楊ゼンは立ち上がり、そっと太乙を抱きしめた。
「もう少しここにいて下さい」
「傷にさわるよ・・・」
「太乙様といたいんです」
「今日は朝から一緒だけど?」
ふっと太乙が首を傾げた。
「でも太乙様はずっとお洗濯されてて、僕の相手をしてくれなかったじゃないですか」
「子供だね」
背後にいて表情は見えなかったが、楊ゼンがむっとしたらしい事が伝わった。
「楊ゼン、私に何をして欲しい?」
「・・・わかっていらっしゃるはずです」
「そう、だね」
今度は拒む事なく、太乙がゆったり体をもたせた。