「君を捕らえておく理由がなくなった」
優美な絹に包まれた腕が中空へ差し伸べられる。友雅が蝶を招くと、それは意思さえ感じさせて
指先へと真っ直ぐ止まった。
「見事な色だと思わないかい?」
夏の終わりに舞う蝶を、冷たい風から庇うように、友雅は袖を翳した。着物の陰に隠れても尚、
燐光を放って蝶は飛んだ。
「・・・式」
呟いた泰明に応えでもするように、青い蝶が、唇の端に移動した。
「私より君がお気に入りらしい」
友雅がふっと首を傾げた。からかいがちに泰明の細い顎に指を這わすと、小さな震えが走った。
「・・・は・・・」
未だ整わない吐息に儚い羽が揺らめいた。
涙の残る瞳が二、三度瞬き、留める雫を振り払った。
「理由はなくなってしまったが・・・」
首筋を指は辿り、薄い胸元へと到達する。冷えた汗で体温を奪われた体を確かめながら、薄い
胸板を撫でる。
「止め・・・ん・・・っ」
充血した乳首をざらりとした掌で擦られた。
「嫌だ・・・、もう、辛い」
泰明の背が反り返った。肘で軽く押さえられているだけにすぎないのに、反転しようとする動きは
封じられていた。今、出来る反応といえば、ただ、こうして身を竦ませ、反り、拒絶を表す事だけ
だった。
それは返って友雅に胸を差し出した形にも取れた。
弄る愛撫を少しずつ強め、泰明の切ない呻きを聞きながら友雅は、瞳を眇めた。
「こうして新たに私の力で繋ぎ止めておきたいものだ」
「戯言を・・・」
「何故、そう言える?」
「師匠と繋がっているおまえの言葉など」
泰明が首を振り、蝶を追い払った。
「この式が証拠ではないか」
「確かに」
苦笑が友雅に浮かんだ。
「君を留め置き、外へ出すなと頼まれた時は・・・正直戸惑った。何故私に、と」
見下ろしてくる友雅の目が、刻む表情とは裏腹に和らいでいない事に泰明は気づいた。
黒い瞳孔の周囲を灰色の輪が包んでいる。それが燭の朧な光を弾いて冷たさを助長させていた。
「晴明殿には、そう言われただけだ」
「私にあのような辱めを与えておいて、よくも・・・」
「立腹していたからね」
泰明の言葉を友雅が遮った。心情の表れか、指に力が入った。
「い・・・友雅、痛い!」
薄い敏感な皮膚が捻じ上げられて泰明が苦鳴した。
「どうすれば、君を一番貶められるか考えた」
ぷつりと赤く立ち上がる乳首が指で押しつぶされる。肌に埋もれてしまうほどに。その下には、
脈打つ心臓があった。
「ここが・・・この心が纏う矜持は高いだろう?」
「んん・・・」
「無防備に晒されて、いいように嬲られて、ひどく痛んだはずだ。・・・だが」
友雅が身を屈め、泰明に口付けた。
「無様な姿にはずなのに、ほれぼれするほどだった。儚い花なのに、人の手には決して屈しない
強さを持って・・・。だから、気に入った」
「は・・・」
吐息が交わった。
「君は陰陽師としての勤めをしくじった。それは私の縁者に連なる赤子。もしそのまま君を帰して
しまえば、いかなる報復があった事だろう」
囁きが泰明に注がれた。背が痺れるほどの甘い声で。ふるりと震えた泰明が、涙で霞む瞳で
友雅を見やった。
「代わりに君の師が行かれた。この蝶は全てが終わった事を告げにきたのだ」
頬を滑った指が流れた雫を拭った。触れられた場所から、じんとした温もりが広がったような気
がした。
「・・・離せ」
友雅の胸を泰明が押した。
「嫌だと言ったら? 私を退ける事など、出来はしない。こんなに細い腕で・・・」
両手首を掴み取られた事で、泰明の抵抗はあっさりと終わらされてしまった。
「止めろ! 手を、離せ・・・っ」
膝を割り、友雅が胴を挟み込ませた事で泰明はひどく怯えた。内腿に触れる絹。大きく広げられた
下肢のはしたなさに白い肌が朱を浮かべる。
「今一度抱いてやろうか?」
「・・・・・・!!」
泰明が凍りつくのを楽しんだ友雅がくくっと笑った。
「冗談だよ。君を壊してしまうわけにはいかないからね」
すいと身を離し、友雅は立ち上がった。
「ここには私の着物しかないが、寒さを凌ぐ役には立つ」
「・・・友雅」
扉へと歩を進めかけた友雅の裾を泰明が掴んだ。
「行くな」
「おかしな事を言う。私を拒む君が」
言いながらも、泰明に引かれるまま友雅は膝をついた。固く握り締める掌を包んで外させる。
引き止めはしたが泰明自身、どうしたいのかわからなかった。
唇だけがもどかしげに戦慄いた。
友雅は、促すような愚かな真似はせず腕を回して泰明を包み込んだ。
ふわりとした温かさが身体に染みた。
「点った熱で君は赤い炎を宿したように熱いのに、何故震えている?」
怯えた獣にも似た小刻みな震えが友雅に伝わった。
「・・・泰明、君がわからないと言ったように、私とて・・・」

緋炎はここで終わります。
対になる冬の話、蒼氷へと続きます。・・・が、何時になる事でしょう。
取り合えず甘々編です。