清浄な音の中に、微かに織り込まれている艶やかさが異質に思えて、泰継は瞳を
開いた。
目に映るのは、天井ばかりで体を横たえているのがわかった。
聞こえてくる音色を妨げる事がないよう、静かに起き上がってみれば、自分がいた
場所は、およそ調度という物が何もない部屋だった。
芽吹いた新芽の香りを乗せた風が、吹きつけていた。
音は外からのようで、泰継は立ちあがろうとした。
その膝ががくりと崩れた。
体重を支える事も出来ないほど、萎えているのに今更のように驚く。
そういえば、最後に歩いたのは何時だったのか。
記憶を手繰り寄せても、霞みがかったように朧で実感がなかった。
確かに今いる空間も、この屋敷の全ても知っているはずなのに。
覚える違和感は・・・。
泰継の気配に、縁に座していた男が振り返った。着衣から、出家の身であると伺える。
絹で織られた法衣は、彼の身分が高いからだろう。
「ああ、眠りを妨げてしまいましたか?」
優しげな顔立ちが笑みを刻んだ。中性的な雰囲気を醸す面の、紅を塗ったかのような
唇から笛が離れた。
では先ほどからの音は彼だったのだ、と彼ならばかの音も不思議ではないと泰継は
考え、そう思い至った事に疑問を覚えた。
「・・・永、泉?」
「はい。私の名をお知り頂いていたとは光栄です」
「私はおまえを知っている」
「お会いするのは初めてですよ、泰継殿」
くすくすと面白そうに永泉は笑った。
「人形に代わりなどあるはずもないと・・・私は思っていましたが、今は天に感謝しています。
いえ、天に召された晴明殿に、でしょうか」
泰継がわからないとばかりに顔を曇らせた。
「おまえは何をしていたのだ?」
「目覚めの修法を終えたので、結果を待っていただけです」
「誰か魔に取りつかれた者でもいるのか?」
「もう陰陽を司る者としてのご自覚がおありのようですね」
問いかけをはぐらかすように、永泉は言葉を紡ぎ立ち上がった。泰継は彼が自分よりも
小柄な事に気づいた。
「私を弱いとお考えですか? ふふっ、あなたを見上げねばならない身ですが、多分今の
私はあなたよりずっと強い・・・」
永泉が泰継の袖口を掴んだ。細い指を握り締め、泰継にすっと視線を合わせる。
「おいおい、わかります。私はあなたとこれから関わっていくのですから」
「これから・・・? では今までは?」
曖昧であっても、永泉を知っているのだ。過去が存在しているのならば、彼の言う強さも
知っていなければならないのに泰継の記憶にはなかった。
「今までは存在しません」
「しかし、私は・・・」
「あなたと分け合った陰の気を持つ泰明殿の記憶を一部共有していらっしゃるのでしょう」
「泰明とは?」
一文字を共有してはいるが、明らかに他人の名だ。
「泰継殿の、先を生きた方です」
ふっと永泉が踵を浮かせ、背伸びすると泰継に接吻した。温かく触れ合う感触に、泰継は
脳を痺れさせた。
口付けは長く、逃れようとしても袖を押さえた永泉に封じられた。
「ほら、あなたは私の思うがままです」
永泉は身を翻した。
「何処へ・・・」
「陰陽頭殿の所へ。泰継殿が目覚められたと告げに」
「・・・師匠に?」
言ってしまってから、泰継は不審気に瞳を眇めた。師である晴明を先ほど永泉は天に
召されたと口にしなかったか?
「今の陰陽頭殿は、時親殿と申されるのですよ」
泰継が何かを問いかけるより早く、永泉は歩み去った。
「時親?」
それは確かに初めて聞く名だった。
明瞭としない頭脳がもどかしく泰継は崩れるように座り込んだ。萎えた足で立ち続ける事が
苦痛なせいでもあった。
温かな春風が吹き抜けていく。
さわさわと揺れる梢も、土の匂いも、広がる青い空も変わった所などなかった。
それでもどこかしら不安で、落ち着かないような気がした。
結っていない髪が乱れる。何気なく顔の右側で一つに纏めかけた指が止まった。
「違う」
このように結いたいわけではない。誰かの真似などではなく・・・。
「一体誰の真似だ?」
考える事そのものが嫌になって、立てた膝に泰継は顔を伏せた。


どれくらいそうしていたか。
自身が春の気と同化してしまうほどの時を泰継が感じた頃、泰継は人の気配に気づいた。
永泉が戻ったのか、と思ったがほどなく一人だけではないとわかった。
陽を弾く白い狩衣を着けた長身の男が永泉と並んでいた。三十路そこそこだろうか。懐かし
さを覚える切れ長の黒い瞳に通った鼻梁、唇は薄く今は少しばかり笑んでいる。
初めて会うはずなのに、彼には面影があった。泰継の創造者の。
「目覚めたか」
「泰継殿、この方が時親殿です」
永泉に言われて・・・まじまじと泰継は男を見つめた。
その瞳からふいに涙が流れた。
「・・・泰継」
「私は何故泣くのか・・・わからぬ」
白い頬を伝い落ちた雫を時親の指が拭った。

ついに泰継に手を出してしまいました・・・。
永泉は年くっても出てくるし。
これはオリキャラですね。安倍時親さんもいます。晴明師匠の孫にあたります。
もう一代下の国随にしようか迷ったのですが、陰陽頭でも国随は長兄ではないし、
泰継のお相手が増えそうだったので却下となりました。晴明まんまでしょ?などとは
言わないでやって下さい。
生まれたての泰継なので、時親と遙か1のキャラのお話になっていきます。
これはまあぼちぼちと書いていきます。