ふいにぱしりと泰明は首を打たれた。
閉ざされていた瞼が震え、色の違う二つの瞳が静かに現れた。呪を紡いでいた唇は
音を失い、きりと噛み締められた。
単から覗く肌を直に打たれたせいで、痛みは鋭く体に広がった。白い皮膚は瞬時に
赤く染まり、蚯蚓腫れを起こした。
「・・・原因はわかっているな」
冷たく晴明が告げた。
「はい」
泰明は床に両手をついて頭を下げた。
「申し訳ありません。でも・・・」
「何だ?」
言いたい事はわかっていたが、あえて晴明は先を促した。
巻き上げられた御簾から覗く庭から、春を含んだ風が吹きつけた。長い京の冬も
ようやく和らぎを見せてきたようだ。
結った先から長く垂らされた泰明の髪が嬲られてふわりとなびく。もとより薄い色
の髪、差し込む陽を受けて透けるほどの煌きを放っている。
「どうした? 泰明」
床にある指先が微かに震えた。逡巡を覚えているのか、即答はなかった。
「答えなさい」
「彼を・・・下がらせて下さい」
「それは客人に対して失礼だと思わないかい?」
晴明ではない、第三者の声がした。今まで大人しく座し、泰明を見つめていた友雅
が大仰に肩を竦める。
「おまえがいると気が乱れる」
泰明が振り返った。
「身を慎め」
途端に厳しく晴明に叱責されて理解出来ないと、困惑が泰明に浮かんだ。
「師匠・・・」
「気が乱れるというのは、おまえがいたらないからだ。陰陽を司る者が、心惑わさ
れるようでは話にもならぬ」
ばさりと着物の裾をさばいて晴明が立ち上がった。
「今のおまえでは私の時が無駄になるだけだ」
項垂れる泰明を置いて、立ち去りかけた晴明だったが、友雅の前で足を止めた。
「不肖の弟子の見苦しい所をお見せした。橘少将殿におかれては、この陰陽師の
館に何用がおありかな?」
友雅の唇がすいと笑みを刻んだ。
「一度、世の不可思議を操る方々の日常を知ってみたかっただけですよ」
「さしてただ人と変わらぬ生活。少将殿にご満足頂けるとよいが」
「充分に。泰明殿が心乱れる姿など、八葉としてだけの付合いならばとても目に
出来ない事ですよ」
「泰明が気になるか?」
「ええ」
問いかけに臆す事なく答えた友雅に、晴明は縁から伸ばした手で折り取った小枝
を差し出した。
「我が弟子ながら、泰明はなかなか難しい」
「それもまた一興」
友雅が渡された物の香りを嗅ぐように顔に近づけた。細い枝の先には未だ蕾の
桃花があった。
「開かぬ事には香りなど微塵もありはしない」


晴明に捨てられたと思った泰明はしばらく呆然と座っていた。
「何時までそうしているつもりかな?」
友雅が背後から泰明の髪に触れた。
「ああ、晴明殿はずいぶんとひどく君を打たれたようだね。しばらくはこの傷、消え
はしないだろう」
「おまえがっ!」
かっとなった泰明が身を翻した。
「何をしに来た」
「先ほど晴明殿に私が言った事を聞いていなかったのかい? 心の乱れがそこまで
ひどいとはね」
泰明が怒りと屈辱を覚えるほど、友雅の態度はからかいを強めるようだった。
「私は部屋に戻る。何を知りたいのかわからぬが、満足するまで好きにすると良い」
顔を合わせるのも嫌だとばかりに泰明は吐き捨てた。
「つれないね」
「これ以上、私に関わるな・・・、!」
拒絶を最後まで言えぬまま、泰明は床に引き倒された。
「失礼な上につれないとは、あまりにも礼儀がなっていない。陰陽の術よりも、そちら
を君は先に身につけさせないといけないようだ」
「誰が・・・おまえなどに・・・」
押さえつけられた体を懸命に捩るが、華奢な造りが故に抵抗もままならなかった。
「無駄な行為は、何も得ないばかりか、物事を悪い方角へ誘う事もある。例えば・・・」
泰明を封じても尚余裕を見せる友雅が、ぴっちりと合わせられた襟元に手を掛け、
力任せに裂いた。
「な・・・っ」
「昼日中から私を受け入れるのは、君にとって堪らなく辛いはずだ」
触れ合うほどに近づいた唇から、囁きが漏れた。それに泰明がぞくりと身を震わせた。
「おや、怯えているのかな?」
露にさせた肌の変化を敏感に察知した友雅は、そこだけが色づいてつんと立ちあがる
乳首を摘み上げた。
「は・・・っ」
全身を突き抜けた刺激に背を仰け反らせた瞬間、友雅の束縛から抜けさせたのが
わかった。
がくがくと力の入らないからだを宥めつつ、泰明が後退った。
「来るな」
「聞き分けのない」
友雅が膝を立てるより早く泰明は部屋から逃れた。靴も履く暇もなく庭に飛び降り、
伸びるがままにされている木々の枝葉を縫って走った。
晴明が私室にしている西の対屋の庭先に回り、跪いて訴えた。助けて下さいと。
ゆったりと座した晴明はそんな泰明を見下ろした。
「お願いです、どうか・・・」
隠す事も出来なくなった怯えが泰明には浮かんでいた。
「可愛がってもらうといい」
「何故・・・っ」
「さあ、どうしてだろうな」
晴明が軽く首を傾げるのと同時に地についた泰明の手首が掴まれた。
「友雅、嫌、・・・だ」
「言っただろう? ほら、事態が悪くなった。晴明殿にご了解を頂けた以上、私も遠慮
など必要ないという事だ」
友雅は細い肩に腕を回した。

新条ゆきの様への8000リクです。
すごくお待たせした挙句の不完全燃焼で申し訳ありません。
そういうシーンはご想像にお任せという感じで。今回は春らしく軽めに。