夜明け間近の空気は、清涼さが際立つ。
心なしかの肌寒さに、泰明は瞳を開いた。色の薄い瞳に映るのは、見慣れた天井で、
顔を横に向ければ、閉じられた障子の向こう、明けきらない闇が広がる。
泰明は自室で横になっていた。ぼんやりと見つめている内に、昨夜の記憶が脳裏に
甦った。
「あ・・・」
ここにいる不自然さに泰明は気づいた。何故何時もと変わらない朝を迎えようとして
いるのか・・・。
周囲に人の気配はない。それでも何度も気を伺い、泰明はようやく大きく息を吐いた。
誰が連れて来たのか。あの、何もなく、御簾だけが下ろされた部屋から。
貼られた札。香の匂い、自分を押さえつける手。
心臓がどきどき脈打った。
悪い夢だと思いたかった。
信じられなかった。しかし、決して夢で片付けられはしない。全身に残る言いようのない
気だるさ。男が触れた感触がまだ、ある。
「・・・?」
泰明は枕もとに、小さな花が添えられた紙片がある事に気づいた。何気なく手に取って
開いた彼の表情が凍りつく。
紙片には詠ではなく、ただ一行、今宵また・・・とあったのだ。
ぱさりと力を失った手から紙が落ちた。
今宵・・・また今日も友雅は抱くというのか。
泰明は自身をきゅっと抱きしめた。身を覆う愛交の跡。体に入り込む異物から与えられた
引き裂かれる痛み。そう、あれは痛みでしかなかった。未だ。
紙片があるという事は、友雅がこの屋敷に入ったという事で、泰明を封じた札といい、師が
手を貸しているに違いなかった。
−−−しかし、何故?
理由がわからない。
まだ夜明けには早かったが、再び眠ることが出来なくて、泰明は体を起こした。
途端に腰から背にかけて痛みが走った。
「−−−っ」
それがあまりにも酷すぎて、また床に突っ伏してしまう。痛くて、堪らなくて、上掛を掴んだ
指が震えた。
「う・・・」
下半身が痺れていた。深い場所が絶え間なく疼く。
乱れた呼吸が整わず、泰明は洗い呼吸を繰り返した。座れもせずに身じろいだ瞬間、ぬるりと
濡れた感覚がした。
「・・・ああ・・・」
ぬめりは泰明から流れ、夜着を湿らせて、床に吸い取られていった。
忌まわしさに、泰明は体を転がして板間に逃れる。意思をは無関係に注がれた液体は、
無理矢理注がれた男のモノだった。
惨めさに泰明は嗚咽した。
顔を覆った手の間から透明な涙が伝った。
痛みのせいで動く事は困難だったが、このままではまた一日が過ぎ、友雅がやって来る。
昨夜は封じられたのだ。逃げたくても逃げられなかった。今は・・・違う。
生命受けてから過ごした館。泰明一人が身を隠すくらい容易いはずだ。
見つからなければ、友雅とて、いずれ諦めるだろう。
そう考えて、やっと安堵した。
「・・・身を清めて着替えたい」
泰明は顔を上げた。
今度はゆっくりと、負担を掛けないよう体を起こした。壁伝いに歩き、湯殿へと向かう。尤も湯殿
とはいえ、広い板間に洗い桶が幾つかあるだけだが。
湯を沸かすのももどかしく、泰明は汲み上げたばかりの水を浴びた。
春を迎えたばかりの水はまだ冷たい。しかし泰明にとっては、冷たいほどありがたかった。汚れが
落ち、頭が冴えていくような感じがする。
水を吸って貼り付いた夜着を、手間取りながら泰明は外した。
「こ・・・れ、は・・・」
表れた裸身を見つめた泰明が驚きの声を発した。
全身に転々と散る赤い花。胸に、腹に、脚に。乳首や性器などは真っ赤になるほど弄られていた。
くらりと眩暈がした。
抱かれている間、友雅はこのような真似をしなかった。泰明が意識を失ってから、これみよがしに
付けたのだろう。
所有の証のように。
「あ・・・」
泰明は床に座り込んだ。
「あの男は本気で・・・」
陵辱し続けるつもりなのか。
今宵が明日、明日が明後日と。
「嫌だ・・・」
思い出すのも苦しいあの痛みを、再び与えられるなど。堪えられるわけがなかった。閉じ合わされた
秘所を無理に抉じ開け、入り込んでくる凶悪な肉塊の記憶。内臓が押し上げられる言い知れない圧迫。
痛苦を避けるのが生物の本能なのに、それを無視されてしまう行為。
「・・・え?」
泰明がふと首を傾げた。
生物の本能など、自分は持っていたのだろうか。
否、だ。
昨夜知ったのだ。
新しく芽生えたもの。
両手を広げて、じっと見つめる。人にしては白い肌。桔梗の花咲く庭で、泰明は作られたのだ。
「感情など・・・私にはわからない」
今までは断言出来たのに・・・泰明は戸惑いを覚えた。