泰明は、階に足を掛けたところを止められた。
「そなたはそっちじゃ」
屋敷の主より1・・・否、2段ほど低い場所を示される。感情を押さえる術に未熟な
泰明をさらに逆なでするように言葉は続けられた。
「師である清明殿ならいざしらす、たかが従七位の半人前が」
「その半人前でも必要となった・・・と」
「口の利き方もわきまえておらぬと見える」
右馬寮頭が長い裾を引き摺って泰明に近付いた。
「先日寺で祈祷をしてもらった折にの、邪気払いに是非そなたを、と推挙する者が
おったのだ」
手にした扇を開いたり閉じたりして弄ぶ。
「別にそなたでなくとも良かったのだが・・・。清明殿のお屋敷に使いを出したら、
来たというわけだ」
「師は留守をしている」
「おお、それは知らなかった」
彼の言い草に、どこか虚言めいたものを泰明は感じた。
「ではさっさと済ませよう・・・!」
泰明の体が硬直した。ひやりと冷たい手が、背後から首筋に触れてきたのだ。
驚いて振り返りかけるのを制し、きっちり結い上げる事で露になった項を無遠慮に
撫ぜ回す。
「この方を下にずっと置いておかれるのですか?」
「地位低き者をまろの館内へ通せと申すのか、御室の皇子殿は」
耳元に泰明は笑みを感じ、永泉がすぐ近くに顔を寄せていた事に気づいた。
「その名は既に過去のもの」
身構える間もなく、耳に温かく湿った舌が差し込まれた。
「んん・・・っ」
「ここに置くだけでは楽しめないではないですか」
まるで物に対するような言い方に、泰明の顔が険しくなった。
「・・・永、泉・・・」
頭を振って、永泉から逃れようとした腕が捩られた。
「あなたは隙が多いように思われます」
袂の長い袖から小さなガラス瓶を出し、痛みに喘いだ唇に無理に流し込む。
「ぐ・・・っ、げほっ!」
咽て吐き出しかけるのを、顎を上向かせて気道を開き、喉奥へ落とした。
「私の気配にも気づかれなかったようですね。右馬寮頭殿の事に思考全てが向け
られるなど、幼い子供と同じ・・・」
「何、を飲ませた」
色の違う二つの瞳から、急速に光が失われていく。永泉が手を離すと、華奢な体は
床にくずおれてしまった。
四肢の先から痺れが起こった。意識ははっきりしているのに動かす事がままならず、
落とされた時に乱れた着物の裾を直す事すら出来なかった。
永泉が傍らに膝をつく。閉じあわされた襟に手が添えられた瞬間、泰明は胸を剥き出しに
されてしまった。
「止め・・・っ!」
「未だ身分低く若年でありながら、この方は確かに阿部清明を継ぐ者。交われば邪を
払い、天地の精霊を操る力が得られるかもしれませんよ?」
白すぎる泰明の肌に釘付けになっている右馬寮頭に、薄い唇を永泉が吊り上げた。
「きょ、今日は特別じゃ。まろの横におる事を許す」
右馬寮頭の声はすっかり上擦っていた。
「私に運べと?」
永泉は肩を竦めた。
「下々の者は世話が焼ける」

「ふざ、けるな」
おや、と永泉が首を傾げた。よろめきつつも泰明が体を起こしたのだ。
「薬への耐性がお早い。以前神子殿にお渡ししたのと同じ薬というのが不味かった
ようです。残念ですが」
言葉ほどそう思っていないような永泉が、泰明の着物を掴み、力任せに引き裂いた。
「どうぞお逃げに」
手がまっすぐ上げられ、門の方角を差した。
「なんと?」
右馬寮頭が異議を口にした。
「弟子が仕事を拒んだとして、清明殿にお頼みすれば良い事です」
師の名にぴくりと反応した泰明に嘲笑が添えられた。
「隠陽師が務めを果たさなかったなどと。どうなるでしょうね」
「・・・まろは腕の確実な者にしてもらえれば良いのじゃ」
扇のぱちりとした音が聞こえた。


夕刻とはいえ、人通りの多い京の中心部である。夢中で門を潜り外へ出たが、自分の
姿の惨めであられのなさに、泰明は蹲ってしまった。
このようななりで師の屋敷まで戻れるはずもなく・・・、また半ば痺れた身では行き倒れて
しまうだけだろう。
「・・・あ・・・」
抱えた膝に埋めた顔から嗚咽が漏れた。
一人でのこのこと赴いてしまった愚かさが悔やまれる。師の留守に届けられた文。隠陽師
としての力に自信を持ち始めたばかりの泰明は、一人でも出来るはずと考えたのだ。
師に誉めて欲しくて。日頃自分を除け者にする他の弟子達の鼻を明かしてやりたくて。
夏の陽は、残酷なまでに長かった。強い西日に照らされ続ける泰明に、辻を曲がっってきた
牛車が近付いた。
貴人の館の前にいる泰明は、高価な牛車に乗る者に、乞食のように見える事だろう。そう
思うといたたまれなかった。
早く通り過ぎる事だけを願っていたのに、それは泰明の前で止まった。汚らわしいと追い
払いでもされるのか、と顔を上げた先に、簾を開けて中の者が顔を出した。
「やはり君か。このような所で何をしている」
「・・・友雅」
「興味深い格好だね。誰かに襲われでもしたかい?」
「おまえには関係ない」
「そうは言ってもね」
身軽に車から降りた友雅が、泰明の腕を取った。
「離せ!」
撥ね退けたつもりが、力は全然入っていなかった。
困っていたのだろう?」
腰に腕が回され、抱かれるように車に誘われた。外部から遮断された空間に連れられて、
知らず、安堵の溜め息が泰明の口をついた。
「送っていってあげよう」
牛車が動き出した。
「・・・あまり詮索はしないけどね」
友雅が細い顎に手を掛けた。
「君はあまり体力があるとは思えないから、あのように強い日差しを浴びていたら、病を得て
しまうだろう。その上、このように肌を剥き出しにして・・・」
真っ赤に焼けた肌にゆっくり指を滑らせる。軽く触れられただけでびりっとした痛みが走った。
「う・・・」
「じっとして」
体に篭る熱を吸い取ろうとでもいうのか、友雅の唇が深く合わされた。
「ん、ん、んん・・・」
脳がじんと痺れるほど、強い接吻だった。呼吸が途切れるほど貪ってやると、疲れきっていた
泰明はぐったりと脱力して、友雅の胸に崩れた。
「ここではあまりにも雅ではない。続きは、君の室で・・・ね」
かり、と耳を噛んで友雅が囁いた。

No.3000 きり番リクです。
ゆきの様、なーんかリクをクリアしてるのかしてないような内容ですいません。
その後彼らがどうなったかは、秘密という事で(笑)・・・というか、それしかないですよねえ。