淡いはずの桔梗の香りが、いっぱいに満ちていた。周囲を圧倒し、ここまで
立ち込めるのは、庭一面に広がるまでに植えられているせいだ。
紫の色が敷き詰められたカーペットのようだった。
時刻は、酉。日暮れたばかりの大気は、晩夏の熱気を濃く纏わせている。
晴明は、その花の群れに一歩を踏み出した。足元で、繊細な葉がさわさわ
揺れた。
手に持つのは唐渡りの香炉。微かに紫苑を帯びた流れが天に向かって立ち昇る。
ふいに風が晴明に吹き付けた。煙が大きくたなびいた。
風の源、東天に瞳を向ければ、輝き始めたばかりの明星が、光を放つ。
秀麗な晴明の顔がついと顰められた。
振り仰いだ顔を再び花に落し、唇が呪を刻んだ。他者には聞き取れないほどの
声音。
聞き取れたとしても理解出来はしない、不思議な音の連なり。
空気がざわめいた。
ひやりと思いがけない冷たい一風が吹き抜ける。それは晴明を包み、全身を
巡ってから花の上に留まった。
煙がそこへ向かう。
薄い紫が、くぐもって動きを止めた。桔梗の香りが強まる。
「−−−泰明」
名が呼ばれた。名は呪。煙のヴェールに覆われた中で、生まれ、蠢き始めた
モノをそれは縛した。
「おまえの名だ」
晴明が腕を差し伸べた。受け止めるように手を添えると、瞬時に風が全てを払った。
陶器の白を肌に持つ一つの肉体が、晴明の腕に残された。濡れた長い髪の重みで
泰明の顔はがくりと仰け反った。
唇は開かれたものの、呼吸はなされていない。
魂が未だ宿ってはいないのだろうか・・・?
生命を宿す事が出来て、初めて晴明の呪は完成する。
「否、もう得ているはずだ」
うっすらと晴明は笑んだ。
風に乱れた黒髪が、はらりと腕に抱く泰明に掛かった。
「そうであろう?」
腕を動かして、左手でしっかり背中を支える。そして花の中から踵を返した。
縁を上がり、屋敷内へと泰明を連れて行く。奥まった部屋に述べられた褥の
周りも、桔梗は敷かれていた。
華奢な体を横たわらせる。顔の横に両手をつき、晴明はじっと見下ろした。白い
肌に、乳首だけが、唇と同じ薔薇色がかった存在を際立たせていた。
ほっそりと伸びた四肢はしどけなく投げ出され、無防備に曝け出されている。
晴明の視線が泰明の顔に戻った。
未だ開かれていない瞳の色も、既に晴明にはわかっていた。望んだからだ。彼が
創りあげた存在。思うままの姿を与える事が出来る。
緑がかった髪を一房取った。絹糸のような流れが、指を擽った。
体に髪が落ちた先、それより尚濃い色をした体毛が、慎ましやかに下肢を覆って
いた。
晴明は右手を脚の間に差し入れた。息を顰めている小ぶりなモノに触れ、先端の
裂け目に親指を押し当てる。
目覚める気配はなかった。しかし、沈黙の中にも変化が訪れていた。泰明の
全身が、与えられる事に対する動きなき反応を起こしていたのだ。
「・・・・・・!」
晴明の瞳が、暗い闇を浮かべた。
温かい吐息がふっと感じられた。
下肢を嬲っていた手を止めると、晴明が今一度顔を覗き込みながら、両手で
滑らかな胸を包んだ。起伏のない場所から、乳首だけがぷつりと立ち上がる。
頭を降ろした晴明はそれを交互に吸った。
乳首は刺激にたちまちしこりを起こした。さらに晴明は歯を立て、唇できつく挟み
込んだ。
「う・・・」
微かな声が漏れた。
「・・・泰明」
晴明は呟き、彼の上に覆い被さった。脚を押し開き、ひやりとした腿の皮膚に指を
這わせた。
初めての音を発した唇に接吻し、吸い上げると同時に泰明を貫いた。
「目覚めよ」
鋭い命令を晴明が発した。
「ああああっ!」
叫びが迸った。
次の瞬間、泰明の瞳が見開かれた。晴明が望んだ通りの、色の薄い、左右の光
の違う大きな瞳。突然与えられた衝撃に潤みを浮かべたかと思うと、涙が頬を
滑り落ちた。
「言葉を、意識を、人としてある方法を」
ぐっと突き上げる。泰明の喉から掠れた息が吐かれた。
「あ、あ、あ・・・」
泰明を襲ったのは怖れ。
白く無垢だった空っぽの泰明に、多くの事柄が流れ込んでくる。渦を巻いて、脳を
浸す。ぐるぐると回る。突然に満たされる。怖い、わからない、何もわからない
のに−−−!
「止め、て・・・」
唇が戦慄いた。言葉を紡ぐ事に慣れていないせいで、呂律が回らず、声音は
小さかった。
「い、た、い−−−」
「許さぬ」
晴明は、泰明の顎を捉えると喉元に口付けた。
覚えたばかりの意識が、絶望を知った。身を引き裂かれる痛みから、解放しては
もらえないのだ。
「だが・・・初めての事だ。多く苦しめはせぬ。・・・今宵だけは」
唇の端がうっすらと持ち上がった。笑みと言うには儚く、冷たさだけが滲んでいた。
脚が持ち上げられ、体を二つ折りにさせた。苦しい姿勢の上に、貫かれる深さが
増した。
「うううっ」
泰明がうめいた。
激しく抽送され、秘所から血が滴る。
指がそれを拭った。
「甘いな・・・」
舌を這わせた晴明が囁いた。
「花から出た者に相応しい」


きつい場所から晴明が自身を引き抜くと、体の下で泰明がうめいた。
された事がまだよくわかっていないようだった。解放されても下肢には激しい
痛みが残り、正常な思考が働くはずもなく・・・。
「ここがおまえの居場所だ。そして、おまえは・・・私を継ぐ者となる」
晴明は置かれていた夜着の単衣を泰明に掛けた。もう泰明はこの着物が、
室内のごくプライベートな場所でしか使われない事を知っていた。
視線で問われて、晴明が答えた。
「おまえにはこれしか必要あるまい? 私の屋敷のこの場所から出る事はないの
だから」
痛みに苦しむのを無理に起こさせ、晴明は細い体を腕に抱いた。袖に温かい涙が
染みた。
「何を泣く?」
「いえ・・・」
否定しても涙は止まらなかった。
「わからないのです」
胸元に泰明の顔が伏せられた。


扉には外から固く鍵が掛けられた。
床に戻った泰明はぼんやりと外を見やった。
高い塀とその内に設けられた人工の緑、そして、花。
世界の大きさなど理解していないが、自分が限られた空間にしか存在を許されて
いない事には気づいていた。

桔梗の香りがきついと・・・思った。

晴泰シリーズの始まりです。鬼畜師匠になるはずです。
・・・ってもうこの第1話でおわかりかも。