出仕前の身支度をさせていた友雅は、表の騒々しい気配に眉を顰めた。
「朝から一体何事だ?」
「さあ・・・」
「光のあるうちからもののけの類が出るとは思わないけどね」
友雅は衣を翻した。支度半ばの着流しのままだったので、控える者達が上衣を手に
慌てて後を追った。
「屋敷の外に出るわけじゃないよ」
苦笑して彼らを制し、磨かれた廊下に踏み出した。
「ここでどのように振舞おうが、私の自由だろう?」
こう言われてしまっては、何人も引き下がる他はなかった。彼が主なのだから。


門前では、番をする男達と言い争う泰明の姿があった。
「通せというのがわからないのか」
「この屋敷には陰陽師を必要とされる方などおられぬ。そもそも突然の訪れ自体が
無礼であろうが。ここをどなたの屋敷と知っての事か」
「陰陽師としてではない。阿部泰明として橘友雅に会いにきただけだ!」
泰明が叫んだ。幼子のような彼は、知ったばかりの感情というものををセーブする術を
知らなかった。
「身分をわきまえよ」
手にした棒で追い返そうとした男に友雅が声を掛けた。
「構わぬ。通してやってくれ」
「しかし・・・」
「私に害を与えたりはしない。それにこんな華奢な体で私をどうこう出来るわけもなし。
・・・おいで、泰明」
高い位置から友雅が見下ろしてくる。二人の立場を示しているようで、屈辱感を覚えたが、
悟られまいときつい瞳で見返した。
初めて入った友雅の屋敷は、師の所とは違ってどこか華やいだ趣があった。尤も、
泰明には他に比べる対象などない。人の屋敷の奥に通される事などかつてなかった
事だから。
生まれてより、師の屋敷を出た事自体が・・・数えられるほどしかなかったのだ。
「君の方からの訪れとは意外だね」
円座を勧め、友雅は当たり前のように上座にゆったり座った。
「用件をきこう」
泰明は立ち尽くしたままだった。重ねて勧められて慌てたように膝を折ったが、俯いた顔が
上げられる事はなかった。
何時もの気の強さが、招じ入れてからなりを潜めているのを、友雅は面白そうに眺めた。
「夜まで待てなかったのかな?」
ついと手を伸ばして細い顎を取った。嫌がるのを二人の視線が絡み合うまで上げさせる。
すぐに逸らされた瞳に罰を与えるのか、喘ぐように薄く開かれた唇にそっと接吻した。
「止め・・・」
陶器を思わせるひやりとした冷たさを味わいながら、口付けはじょじょに深くなっていく。
舌先で唇を突き、口中に侵入する頃には、行き場を求めた腕が友雅にしがみついていた。
拒む為に握られた拳は、開かれる事もなかったが、打つ事もなく、ただ震えていた。
離れては合わされ、幾度も深く接吻して、友雅は貪った。
「あ・・・あ・・・」
押し倒された体から力が抜けた。力ずくで抱かれてきた身体は、意思とは関係なく逆らう事の
愚かさを覚えこまされていた。
「麻だね。夏らしい装いだ。君が選んだのかい?」
友雅の指が襟にかかった。
「離せ」
「何故? 嫌なら何故ここに来た?」
「・・・・・・!」
泰明は顔を覆った。抱かれたいという気持が、先程の感情が再び湧き起こる。
「私は・・・おかしい・・・」
「わからないね」
剥き出しになった肩に友雅が指を滑らせた。びくりと細い体が反り返る。
熱い!
指が炎を宿しているように感じられて泰明は身を捩り、友雅から逃れた。半身を起こして乱れた
着物を直し、荒い吐息を整えようと、瞳を閉じる。
「何をしている」
友雅の言葉に冷たい響きが混じった。
「来なさい、ここに」
「嫌だ・・・」
「−−−来なさい」
ふるふると泰明が首を振った。
「私に何かを言いたいのだろう?」
紡がれるのは低く冷たい言葉で。
それがふと優しく和んだ。
「望んでいる事を言いなさい」
「・・・あ・・・」
僅かに乱れた髪の下から見つめられて、泰明はぞくりとした。
一体自分は何を言えばいいのか・・・。
頭が混乱した。
「何を言っても構わないが? 私が君の願いを全く聞かないと思っているのかな?」
泰明に涙が浮かんだ。
「その瞳が涙に濡れるのはとてもきれいだけどね。叶うなら、私の腕の中でだけ流してほしい
ものだ」
立てた膝に友雅は腕をついた。
「さあ、言ってごらん」
尚も囁かれて・・・心の奥深くに収めておきたかった思いが曝け出されていくような気が・・・した。
友雅の緑を帯びた黒い瞳がじっと泰明を見つめてきた。
「・・・友雅・・・」
床についた手が、躊躇いを隠し切れずに開いては、閉じた。
それ以上は何も言わず、友雅はただじっと視線を注いだ。それが俯いてはいても痛いほどわかって、
心がきりきりした。
今ならまだ引き返せると・・・。
意識の深遠がそう言った。
それでも・・・。


「・・・抱いて、欲しい・・・」

今回でDOllの話終わらせようとしたのになあ。終わってないし。
清泰はこちらを終了させてから取り掛かる予定。やりかけを溜めると収拾つかなくなってしまいそうで。
このシリーズも後少しお付き合い下さいませv