古びた木の扉が軋む音に泰明は顔を顰めた。晴明がこの堀川の東に居を構えてから
10年ほどしか経っていないのに、門扉も屋敷も、いたるところが古く、傷んでいた。
手入れに頓着しない晴明が、風雨に晒されるままにしているせいだ。
幸いというのか、ここは火事の多い都にあって、一度たりともその災厄に見舞われた事もなく、
それゆえに、建てられた当時の姿を留めている。
泰明が意識と器を与えられた時から、何一つ変わらない。
雨水が染みになった門に手をついて上を見上げる。朽ちて崩れてしまわないのは、晴明の
気が満ちているせいか。
内裏の鬼門を封じる形で建てられた屋敷。寝殿というには慎ましい大きさのここは、泰明の
世界の全てだった。
先ほど、戻り橋を渡って客人が来る、と晴明に告げられ、迎える為に門を開けた。
誰とは教えられなかったが、門前払いを食わせるような相手ではないらしい。
客の来訪は、橋の下に隠してある式神達が伝えるのだろうか。
泰明には、誰かが来るなどと感知出来なかった。
始まったばかりの秋風が、遠くから吹き寄せてくる。空は高く、彼方にうっすらと白い雲が覆うばかり。
暮れていく太陽に赤く染まりながらも、遙か先まで澄み切っていた。
「・・・君が出迎えてくれるとは」
門を開けたとたん、高い位置から声がかけられた。
出迎えるほどの客人、当然車で訪れる物とばかり考えていた泰明は驚いて振り仰いだ。その相手が
見知った者である事が泰明を困惑させる。
「おまえが客人なのか?」
「鳥の姿をした遣いが私のもとへ来たが? 私にはそれが君からなのか、他の誰かからなのかなど
わかりはしない」
馬上からひらりと降り立った友雅が泰明に言った。
「君が呼んだのではないのか」
「・・・知らぬ」
馬の扱いなどわからないと、馬屋を示しただけで泰明は背を向けた。
「何処へ行く」
「この屋敷の入口など知っているだろう? 陽も落ちる時刻に来たのだ。師匠に負の呪でも頼みに来た
のか? 人とは大変な事だ」
ちらりと振り返って泰明は言った。
「負の力は逢魔ケ刻が過ぎた辺りに行う方が、効果があるというからな」
「遣いが来たと言ったはずだ」
友雅は肩を竦めた。
「用件を伝えられはしなかったが」
後ろから泰明の腕を掴んで捻り上げる。
「離せ!」
振り放そうと身もがくのをあっさりと解放し、友雅が布に包まれた入れ物を渡す。
「手ぶらで訪れるのも無作法かと思ったからね。今宵は月満ちる夜。越前より取り寄せた酒だ。
晴明殿に渡してくれないか」
「わかった」
軽く振って液体の感触を確かめる。中に異質な気配はなかった。友雅が知らずとも、悪意を持つ
何者かによって呪が込められている場合もあるからだ。
平安の都の外はわからないが、遠く運ばれた物ならば、それだけ多くの人の手を伝っている。
「上がれ。師匠は今西の対屋にいる」


晴明は妻戸を開け放ち、廂に円座を敷いて寛いでいた。
既に幾皿か、料理も用意されている。軽く摘める程度の物ばかりなのは、友雅と酒でも酌み交わす
つもりなのだろうか。
「ようこそ」
脇息の肘をついたまま、晴明はふわりと笑んだ。
「満月の夜のお誘いでしょうか。遣い、ありがとうございます」
気後れする風もなく、晴明の前に胡座した友雅が軽く頭を下げる。
「突然のお招き、理由がおありですか?」
「さて、ただ夜を飲んで過ごすというだけでも乙な物」
白い陶器の杯を口元へ運び、晴明が言葉を紡ぐ。
「師匠、友雅からこれを・・・」
包みを解いて泰明が酒の満ちた入れ物を差し出した。
「都にありては、中々手に入らぬ品だな。感謝する」
「些少ですが」
二人の側にいる事で、何か胸騒ぎを覚えた泰明は、一例して下がろうとした。満月を楽しむのが
用件ならば、自分がいなくても問題ないはずだ。
「今宵は、これの生まれた日」
ふいに晴明が泰明へと視線を向けた。
「物忌み日の暦の巡りから、長月とは気付いていたが・・・、このように月の眩しい日の生まれとは羨ましい。
君の白い肌は月の輝きを映したものかな?」
友雅がすいと瞳を眇めた。
「師匠・・・私の生まれなど・・・」
わざわざ何故教えるのか、と泰明は首を傾げた。
「生誕祝いに、お誘いとは」
「そなたは、これの肉を知る者だからな」
くくっと晴明が声を上げて笑った。
「去る事許さぬ。ここにいなさい、泰明」
「ですが・・・」
「まだわからぬか? 今宵の酒宴を飾るのはおまえだという事が」
「おいで、泰明」
直衣の袖を押さえながら、友雅が手を差し伸べた。
二人に促されても泰明の脚は凍りついたように動かなかった。
「そうだったね。君は素直に従うような子ではない」
晴明に断り、立ち上がった友雅は泰明の両手を掴んだ。
「ひどくされるのが好きなのだから」
泰明の狩衣を締めていた帯を抜き取り、抵抗を容易く封じて友雅は細い手首を縛り上げた。

泰明の誕生日記念が3Pですいません・・・。後編、すぐにUPします。