水音が響いていた。
泰継の意識はそれが水音だと認識していた。ぽーんと跳ねるように滴り続けている。まるで
水が空中で球体になっているかのように。
こんな音だっただろうか?
そう思った時、泰継は目覚めた。
まだ眠りの期間は終わっていないはずなのに。風が少しばかり冷たさを帯びた頃、泰継は目を
閉じた。
次に起き上がる時は、北山は白い雪に覆われているはずだ。
周囲はあまりにも暗かった。
夜なのだろうか? 自分の指さえも見る事が出来ない。
・・・また、水の音がした。
振り返った先に、光を帯びた雫が間隔を置いて落ち続けていた。
「水が光るとは・・・」
上を見上げてみても、闇の中、それが落ちてくる場所はわからなかった。手に雫を当ててみれば、
氷のように冷たい。
そこで泰継は気づいた。
ここが、自身のいる庵でない事に。
一人で住まうだけの最低限の広さだけしかないのだ。なのに、空間が無限とも言えるほど、暗闇へと
続いている。
水が、僅かな明るさを灯すだけの場所。
ふいに、小さな笑いが聞こえた。
「珍しい者がきたようだ」
「誰だ」
声の来たと感じた方角に向き直り、泰継は誰何した。
「私はおまえの基となる者」
泰継の顎に指が掛けられた。
「・・・っ」
触れた肌の冷たさに、泰継の体は震えた。距離はあったはずなのに。今も、自分のすぐ傍にいる実感が
わかない。
この男の気配が希薄なのかもしれない。
「だが、まだ形を与えてはいなかったはず。満ちた月に導かれて、時空の先より迷いこんだか?」
「何処に月などが・・・」
「おや、見えていないとは」
衣擦れの音がした。
瞬間、闇な中に月が浮かび上がった。大きく、完全な丸みをしていた。
「今宵は昼と夜が時を同じくする日。闇にある月はこんなにも明るい」
光に視力を得た泰継は、目の前にいる男をしげしげと見つめた。
月光に映える艶やかな黒髪。微かに吹く風にそれは流されるままだ。穏やかな表情は、上向かなければ
全貌がわからない。
身長の違いは、泰継に不安を抱かせるには十分だった。
その上、笑みを浮かべてはいるが、瞳に湛えられた光は冷たくて・・・。白い衣を纏っているのに、彼が
闇そのもののように感じられた。
「迷ったのか、それともあれが呼んだのか」
男が腕を伸ばした。促されて振り返ると、また別の人間がいた。
ただし、酷く不自然な姿で。瞳をこらせば、それは無残に拘束されているせいだとわかる。
「あれの名は、泰明。おまえと一つの魂を分け合って創った人の形」
名を呼ばれて、倒れ伏していた泰明が顔を上げた。緩慢な動きは、縛めの苦しさ故か。
「・・・・!!」
泰継は驚きに後退った。それを男が抱きとめる。
「おまえと同じだ」
「そのような事、あるはずが・・・」
「夢と思うのなら、それでも構わない」
耳元で囁かれて、背筋を痺れが駆け抜けた。
「私は、夢など見ない」
「・・・そうか。おまえも完全ではないらしい」
背後から抱いていた腕に力が入った。
「離せ・・・!」
逃げようと身もがいた体は簡単に封じられてしまった。
「おまえは誰だ・・・っ!」
「私は、安倍晴明という」
泰継が双眸を見開いた。
稀代の陰陽師と言われた男の名だからだ。そして、知らないはずの男。形を与えられたのは、晴明の死後
5年であると、目覚めた時に教えられていたはずなのに。
戯れと一蹴する事は出来なかった。
男の発する気。それは気配の希薄さが取り払われた今では、ただの人間とはかけ離れて強く伝わって
くる。
「私の陰の気をもって創られた二つの形。同じ時代を生きる事はなかったが、おまえ達は兄弟のようなもの
だな。今宵、こうして巡り合えたのだ。お互い、予期せぬ出会いを楽しむがいい」
言いざま、晴明は泰継の腕を捻り上げた。
「な・・・っ」
骨が軋むほどの力に、苦痛の呻きが漏れた。
「泰明もそれを望んでいる」
「言葉もないのに・・・、うぅっ、何故、わかる」
泰明の唇は絹を噛まされ、塞がれているのだ。
「あれを目覚めさせたのは私だ。それから、ずっと傍に置いている。まだ二年にしかならないが、言葉などなくても、
わかりあえる事もあるだろう」
泰継の腰帯を引き抜き、手首を頭の後ろで縛りつけながら、晴明は再び笑んだ。
「触るな、私に」
「では、泰明なら良いか?」
「離・・・っ」
晴明は泰継を抱き上げ、泰明の元へと運んだ。

ちょっぴり不思議なお話。
受けが二人というのは一度書いてみたかったのです。次回、そういうシーンばっかりの後編で完結です。
更新とろくってすいません。次回はあまりお待たせする事なく書き上げたいと思います。