薫風の10年後くらいでお考え下さい。
安倍家の当主は、晴明の5世の孫、安倍泰親(やすちか) 後の播磨の守です。



三月の目覚めと三月の眠り。それが全てだった。
眠りが終われば季節が変わっている。愛でたいと思った花が既に散り終えてしまっていた事も数え
きれないほどあった。
しかし、その悲しみさえも果てない時の中に麻痺してしまったのかもしれない。
日々は、月は巡り・・・四季は繰り返されるのだから。


京を北に離れた山中に泰継が庵を結んでから、多くの時が流れた。
泰継を目覚めさせた者達も既にこの世にはいない。縁のある安倍の家の者も、彼の存在を今も尚
知るのは限られている。
変化に乏しい、静かな生活を泰継は、それなりに満足していた。
それが、ふいに乱されたのはうんざりするほどの夏がようやく終わりを告げ始めた頃だった。低い場所に
位置する都はまだ暑さに包まれているだろうが、北山もここまで上れば、秋は一足も二足も早く近づいて
くる。
枯葉の香りを含んだ風を纏って、纏った一人の男が訪ねて来たのだ。
「久しいな」
「・・・おまえは誰だ」
問うてはみたが、泰継には彼の姿に微かな記憶があった。
それは・・・あるはずのない記憶。泰継が泰継でなかった頃に・・・。
涼しげな目元。ゆったりとした笑み。泰継は彼から目が離せなかった。伸ばされた手に肩を掴れ、
抱きしめられても、抵抗しようとも思わなかった。
「泰親だ。今では安倍家の当主となった」
「あの童か」
「童子とは。私にとってはずいぶん昔の事も、おまえにとっては違うという事か」
名乗られて泰継は落胆に瞳を翳らせた。当然の事に。人の時間は早いのだ・・・。過去にいた人物達と
同じであるはずがない。
いくら似ていたとしても。
安倍泰親という男は、泰継の核である者でも、目覚めさせた者でもなかった。
何を求めようというのか、わからぬまま無意識に泰継は手を伸ばし、泰親の頬に触れた。
鞠と戯れ、遊んでいた子供の面影は僅かに残ってはいたが、泰親は既に泰継より背も高くなっていた。
後少しすれば泰継を追い越し、老いて、去ってしまうのだろう。
執着してはならない、関わってはならないと泰継は頭を振った。
「考え事か?」
男は袂に挿していた桔梗の花を一輪差し出した。
「今年最後の花だ」
北山では見かけぬ花に泰継は首を傾げた。
「おまえ自身には縁がない花かも知れぬが・・・おまえと気を分け合って作られたもう一つの器は、
まさしくこれの化身だったという」
泰親が泰継の髪を撫ぜた。
「残された記録では、おまえと瓜二つだったらしい」
「私には関係ない。そのような者など知らぬ」
「はたして、そうであろうか?」
浮かべる泰親の笑みが深くなった。
花を見つめるうちに泰継は苦しさを覚えた。香りが脳に染み入るようだった。たかが一輪の花、しかも
盛りを終えて弱々しく咲く花びらに、きつい匂いがあるはずもないのに。
「離せ、それを・・・」
抱かれた腕の中で泰継が身じろいだ。
「胸が痛むのだ」
泰親に花を遠ざける様子はなく、泰継は溜息を吐いてせめてもと顔を背けた。
「用件は何だ。おまえも安倍家の者ならば、私には近づくなと教えられているはずだ」
「あの家に私を従わせる者などいはしない」
細い顎を掴み泰継顔を上げさせる。
抱いた時、着物越しでも彼が脆く華奢なのがわかった。体を形成する骨は細く、腕に力を込めれば
簡単に折れてしまいそうだ。
「抱きにきた」
「馬鹿な事を・・・」
泰親の言葉を一蹴しかけた唇は、突然奪われた。
合わさっただけの口付けは次の瞬間、貪る動きに変わった。
「ん、う・・・」
拒む為に振り上げられた手は震え、泰親の胸で拳を握るばかりだった。
時間をかけた長い接吻が終わる頃には、支えが必要なほど泰継はぐったりしていた。呼吸を欲して
肩が大きく喘いでいる。
「時折、屋敷に来るおまえを見ていた。おまえに相応しい男となったら抱こうと、ずっと・・・思っていた」
「元服して・・・烏帽子を被り・・・家を継いだ今がそうだとでもいうのか」
揶揄に泰親が軽く瞳を眇めた。こういう仕草が、彼がまだ若いという証だった。
泰継の知る過去の男達と、決定的に違う部分がここにある。
「いずれ・・・」
「その時が来れば良いが。おまえの命ある間に」
「・・・おまえは何時まで生きるつもりだ?」
「わからぬ」
心の奥深くでは、泰親と交わり、関わる事に怖れている。泰継自身気づいていないが、淋しさという感情
だった。
それでも・・・失われた何かが再び与えられるのではないかと・・・そう、思うのだ・・・。
「寒い、風が冷える」
身を震わせた泰継の肩を泰親はさらに強く抱いた。

晴明とどう差をつけるかが課題ですが、9月は陰陽師達月間という感じで、第1段です。
玉藻のきつねの話など、史実(?)っぽいエピソーードも泰親は交えていきたいと思います。
泰継は総受けではなく、ある程度お相手が限られた感じでしか今は考えていません。