火之御子社の怨霊を封じての帰りだった。
晩春の陽は既に落ち、名残の赤で空を染めてはいたものの、夜の藍の侵略に負け、色を失い
かけていた。
「神子、気になる事がある。悪いが屋敷までは送れない」
泰明がふいに足を止めた。僅かに顰められた顔で茜を見下ろし、ついと後ろを振り返る。つられて
茜もそちらに目をやったが、何も感じられなかった。
「あの・・・私が原因なのですか?」
おずおずと茜が尋ねるのにも答えず、きつい視線を西の方角に注ぐ。
「泰明さん?」
「・・・すまない」
言葉少なに告げると、立ち尽くす茜を残し、泰明は踵えお返した。
「頼久さん、追ってください」
茜が今一人付き従っていた頼久に頼んだ。淡い色の髪が揺れ、彼女が頭を下げた事に頼久は
気づく。
「日暮れてから、神子殿をお一人にする訳には参りません」
「藤姫の館ならすぐそこです。泰明さん、おかしかった。心配なのです。・・・だから・・・」
龍神の神子として、八葉を気遣うのがわかるだけに、頼久はそれ以上、拒絶する事が躊躇われた。
「仰せのままに」
「ありがとうございます」
不安な表情を浮かべていた茜が、ようやく少しばかりの笑みを見せた。


灯り一つ持たずに、泰明は暗い社に近付いた。
怨霊が封じられたばかりの場所は、邪気が払われている。ここがまた、澱みに満たされるまで
には、時間がかかるだろう。
夜の神闇が濃い。
常人ならば、それだけで恐れを抱き、入っては来ないはずだ。
「嫌、まだ・・・」
古い扉に手を掛ける。中から、微かではあるが汚れが漂っていた。
茜の力が完全ではないせいである。払いきれない物は、こうして密かに泰明が処理をしてきた。
何時もなら日を変えて誰にもわからないようにしていたのだが・・・、今日は残された物が
大きすぎた。
指をぴたりと扉に当て、呪を呟く。
あえて夜に行うのは、挑みなのか。
「・・・ふう、」
溜め息を吐き、泰明が木に凭れた。陰陽を使う者として、この汚れを清めた瞬間がたまらないのだ。
この気持に浸っていたかったのだが、研ぎ澄まされた泰明の感覚が、他者がこの社に入って来た事に気づいた。
「頼久か、何をしに来た」
「それはこちらが言いたい。神子殿を置き去りにしてまで、ここに戻りたかったのか」
「置き去りにしたのは、頼久とて同じではないのか?」
泰明の声に揶揄が混じった。
「私は神子殿に頼まれて、泰明殿を追っただけだ」
「要らぬ世話だ」
素っ気無い態度に、頼久は怒りを覚えた。
すいと脇を通り抜けようとする腕を掴んで捩り上げる。
「何をする!」
苦痛を浮かべ、頼久を払おうとしても、華奢な泰明の力では敵うはずもなかった。
「少し、勝手な行動が多すぎるのではありませんか?」
地に引き倒し、上から圧し掛かる。肩を押さえて起き上がれないようにしてやると、あからさまな
怯えが泰明に表れ、頼久の方が驚いた。
「離・・・せっ」
先程の冷静な態度からは考えられないほど無我夢中で暴れる泰明に、反射的にさらなる力を
加えてしまう。
暴れた事で乱れてしまった髪が、泰明が頭を振る度、ぱさぱさ音を立てた。
「勝手だなどと・・・」
泰明がようやく瞳を頼久に向けた。左右の色が違う目は、闇にあってもきらめいている。
「望んで、八葉になった・・・わけではない、務め・・・は・・・果たしている。いい加減、離せ・・・」
再び顔が逸らされる。泰明は間近で人と接する事を怖れていた。敢えて距離を保とうとふるまうのは、
怖れを隠す為。
それを知っているのは、泰明を創った者と・・・他に、ただ、一人。
「頼久・・・」
何時までも押さえ込んでいる頼久に、再度泰明が解放を求めた。
自分を見つめようとしない泰明に、驚きが覚めると再び怒りが起こった。
逸らされているせいで、露に晒された白い項に噛み付くように唇を這わす。
「な・・・っ!」
泰明が腕を突っ張らせて頼久の肩に爪を立てた。着物を通してさえも、食い込む鋭い爪先に、頼久が
眉を寄せた。
「気でもふれたか!」
「・・・お静かに」
瞬間、服の上からソレを握られて、泰明の背がぐぐっと反った。
「握り潰されたくないならば」
「あ、あううっ、・・・!」
頼久は容赦がなかった。
「止め、よっ、頼久!」
「ここで泰明殿を捩じ伏せたら、少しは堪えるでしょうか」
体が返され、土に顔を擦りつけられる。
「う・・・、うっ」
口中に砂を感じた。吐き出そうとしても、後頭部を強く押さえられていては、顔を上げる事さえ叶わない。
腰が引き上げられる。
この次に来るであろう事を泰明は嫌というほど知っていた。
重い衝撃。引き裂かれる苦痛。
声にならない叫びが漏れた。


気がつくと見慣れぬ部屋にいた。
「泰明さん?」
枕元には茜が座している。身じろいだ事で何かが額から滑り落ちた。
「ここ・・・は・・・?」
声が掠れて、上手く言葉を紡がなかった。
泰明から落ちた布を拾い、茜は冷たい水を張った手桶に浸した。
「藤姫の館です。お加減が悪いようなので、今晩はお泊りになるとお屋敷には連絡しておきました」
固く絞った布が額に置かれる。
茜の指が、すっと喉を辿り、泰明が反射的に身を竦めた。
「頼久さんの匂いがしますね」
ふふ、と茜が笑う。
「神子・・・」
「そんな気になさる事ではないですよ。お熱も大分落ち着かれたようですし、私も休みますね」
絶句する泰明の頬に軽く接吻し、茜は部屋を辞した。

ゆきの様へ
お待たせしてしまったあげくに何、これは・・・みたいになってしまってすいません。
今週はどうにもスランプ気味です。なので、頼泰801話はリベンジさせて頂きたいと
思いますが、いかがでしょう・・・? それで赦して貰えます?

禁断の塔の茜は、あの永泉の弟子なので、まったくもって可愛くないですね(笑)