最初に少し解説

この閉鎖された楽園は、玉楊の世界観を崩さないように意識はしましたが、あくまで
オリジナルなストーリーです。

1回目でちらりと出ましたが、舞台は日本。舞の家元の師匠と、その弟子楊戩の話です。
現代パロディーのような雰囲気が少しでも出せたら、と思います。

では、どうぞ。

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「何事も意向に添い、決して逆らわないように」
そう言い含められ、父に手を引かれて生まれ育った家を後にしたのは、楊戩が7つの時だった。
夏がようやく終わりを告げ始めた頃。
幾度も乗り物を変え、さらには竹林の長い道を歩いた先に、目的の場所はあった。
時刻は夕暮れ。
夜の帳が降りるのも間もないだろう。
高い塀に囲まれ、中をうかがう事は出来なかったが、その塀が永遠のように先に続いているように
楊戩には思えた。
父親が呼び鈴を押し、しばらくして現れたのは、肩で髪を切り揃えた幾分華奢に見える男だった。
「君が楊戩君?」
すっと見つめられて、その瞳がどこか冷たく感じられて、楊戩は答える事が出来なかった。
そんな背を、父親がそっと押した。
「お答えしなさい」
「・・・」
「いいよ、何か思う事でもあるのかもしれない。私は太乙。さあ、中に入ろうか。
ああ、父君はここまでで。この屋敷は、主が許した者しか入る事は出来ないから」
「それでは、私はこれで」
頭を下げ、足早に去って行く姿が、父を見た最後になった。


売られた、と楊戩が知るのは後になってから。


歴史ばかりが長いだけで、消え入りそうな舞の流派の家に楊戩は生まれた。

物心ついた時には母はおらず、舞の稽古を始めた頃には、家に新しい女がいた。

その女と父の間に男の子が生まれた。楊戩にとっては、腹違いの弟となる。


家の中に不穏な空気が流れだした。
途絶えそうな流派とはいえ、後継ぎは二人は要らぬ、と。


そして・・・。

舞の数ある流派な中でも、全国的にもっとも影響力を持つ名門、その門跡に弟子入りという
形で長男であるはずの楊戩は出される事となった。

二人の跡継ぎの内、一人を差し出す事で庇護の内に入り、存続を図ろうとしたのだ。

母という護りがない楊戩の方が選ばれたのは、当然の事なのかもしれなかった。


「楊戩君?」
去って行く父が消えた先を見つめていた楊戩に、太乙が声をかけた。
「まだ、親が恋しい歳だろうに、泣いたりしないんだね」
背の低い楊戩と視線を合わせるよう、膝をつく。
「寂しくはない?」
「・・・はい」
初めて楊戩が言葉を発した。
「そう?」
太乙は肩を竦めたが、それ以上は追及しなかった。
「あなたが、主なのですか?」
「違うよ。私はただの遣い」
ふふっと太乙が笑った。
「あまり師兄を待たせる物ではない。行こう」
促されて、門の中へ楊戩は入った。その背後で太乙が扉を閉め、鍵を掛ける。
まるで、楊戩を閉じ込めるように。
塀の内側は、外観から想像出来た通り、広い造りだった。涼やかな風が吹いているはずなのに、
その音すら静寂の中に消えていく、そんな空間。
これからずっと、ここで生きていく事になるのだろうか。
そう考えると、広いはずなのに、何処か息が詰まるような感覚を楊戩は覚えた。
幼い楊戩にとって、それは永遠に近い時間だった。しかし、その胸の内を出せる対象は、何処にも
いはしない。
木々に覆われた邸内は、夜が早く訪れているようだった。
「師兄はまだ舞台にいるから」
かがり火が四方に焚かれた舞殿に、彼はいた。
舞楽装束ではなかったが、着物がとても似合う、美しい男だった。伸ばした黒髪は地に着くほど長く、
今は後ろで緩く纏められていた。
音を立てず、静かに舞う姿に、楊戩は釘づけになった。今まで、実家の舞楽しか知らなかった
楊戩だったが、その姿は誰よりも美しく見えた。
しかし、その舞は何処か寂しくて・・・。
「楽は・・・、ないのですか?」
「そうだね」
「でも、それでは・・・」
師となる男を見つめていた楊戩が、思わず抱えていた包みを解いた。
「邪魔をしてはならない」
太乙が止めたが、楊戩は聞かず、取り出した笛を唇に当てた。


夜のしじまに、龍の飛翔が響いた。
ふと足を止めた玉鼎だったが、すぐに今の舞に合わせた楽である事に気づいた。
視線を流してみれば、まだ幼い子供が笛を吹いていた。
子供が笛を吹くのは珍しい。
伝統芸能の継承者であっても、成長した肺でなければ機能を損なう恐れがあるとして、あまり子供から
習わせたりはしない。
「止めよ」
玉鼎がぴしりと言った。
「まだ私についてくるのは早すぎる。酸欠で倒れてしまうぞ」
「止めきれなかった、悪い事をしたね、師兄」
太乙が頭を下げた。
「おまえが謝る事ではない」
舞殿から降りた玉鼎が二人に近づいた。
「・・・楊戩、私がこれからおまえの師となる」
見下ろされて、知らず、楊戩は震えた。それを隠すよう、きっと唇を噛みしめる。
「贄ではないのですか?」
楊戩の言葉に、玉鼎は苦笑した。
「そう思っているのか」
「何事にも逆らうな、と言われてきました。家を守るために」
「家、か。そんなに大事な物なのか?」
「・・・はい」
「本当に?」
玉鼎の声が、一段低くなったように思えた。
「本当です」
苦笑が冷たい笑いに変わった。
「嘘をついているのか、虚勢か・・・それとも本当にそう思い込んでいるのか・・・」
玉鼎が踵を返した。
「太乙、贄をそれらしくして、私の部屋に」
「わかった」
去って行く玉鼎を見つめる楊戩の瞳には隠しきれない怯えが浮かんでいた。


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