浴室へ連れられた楊戩は、体と髪と歯を二度ずつ洗うよう、太乙に命令された。
「手伝いはいる?」
「いえ・・・」
楊戩は拒んだ。湯を使う所を見られたくなくて、出て行って欲しかったが、太乙が
動く事はなかった。
「きちんと残さずにね」
隠そうとする楊戩は制せられた。
体を隅々まで清めた後、汚れが残っていないか確かめられる。
「や・・・っ」
秘めた場所まで探られて、楊戩が狼狽した声を上げた。
「じっとして」
「でも・・・ん、・・・っ」
煌々とした明かりの下に晒されて、羞恥に頬が赤くなった。
「大丈夫かな」
最後に爪の形を改めた太乙が立ち上がった。
「おいで、夜着を着せるから」


広げられた夜着は、柄のない真白な物だった。
「君の年齢を聞いて、仕立てさせたのだけれど、少し小さいね。君は標準より大きいのかな」
楊戩に袖を通させながら、太乙はにこりと笑った。
「すらりとした良い手足だね。変に痩せぎすでもなく、柔らかい。これからどう成長して
いくのだろうね」
これもまた白い帯をきゅっと締める。
「髪は伸ばしているの?」
「・・・はい。自毛で結う為に」
「拘りでも? 髢を使っても構わないのだよ? 実際私はそっちの方が良いと思うからしているけれど」
「太乙様も舞を?」
楊戩の問に、再び太乙はふふっと笑みを浮かべる。
「言っただろう? 私はただの遣い。この屋敷と師兄の、ね。さあ、唇を薄く開いて。紅を差すから」
淡い色を楊戩の唇に塗り、体には良い香りのする練り香を擦りこんだ。
「いいかい? これは忠告。師兄には逆らわない事。ぐずぐずとして、反応が遅い事も嫌う。
時間稼ぎをしたって何の意味もない。余計にひどい目にあうだけだから」
膝をついた太乙が、楊戩の腕を掴んだ。
「父も・・・同じ事を言いました。あの方・・・し、師匠にも先ほど、僕は言いました」
楊戩が悲しそうに顔を背けた。
「そう? きちんと言い含められて、わかっているんだ。では、君の覚悟の程を師兄に。行こうか」
微かに震える楊戩の手を取り、太乙は歩き出した。
長い廊下を通り、屋敷の奥まった場所へ向かう。
明かりは灯されていても、夜の闇が押し迫ってくるようだった。
今に至るまで、玉鼎と太乙以外には誰にも会わず、邸内は静まり返っていた。人を遠ざけているのがわかる。
それでも、逃げ出す事は出来ないと感じていた。
世話を焼いてくれた太乙は楊戩に同情的な様子を示してはくれたが、あくまで会ったばかりのこの屋敷の
人間なのだ。
楊戩が不穏な動きをすれば、態度を豹変させるかもしれない。
非力な子供でしかない楊戩が、幾つもある広い部屋と廊下を駆け抜けて、外への扉にたどり着くのは難しい。
それに・・・。
ゆるりと楊戩は頭を振った。
縦しんば外へ出られたとしても、何処に行くというのだ。
既に帰る場所がないという事は、わかっている。
誰かの庇護なしではいられない、幼い身だという事も。
素足に触れる床が冷たかった。
まだ寒さを覚える季節ではないというのに。
この冷たさは、楊戩の感じている怯えだった。
屋敷の奥、廊下と室内を遮る扉を、太乙がそっと開けた。
「お入り。ここからは一人で行きなさい」
楊戩が太乙を見上げた。小さな手がきゅっと握りしめられてきた。
「贄だと、君から言ったのだよ?」
幼い背をそっと押しやってから、太乙は楊戩の背後で扉を閉めた。
朝から起こった事で、楊戩は疲れていた。しかし、玉鼎の部屋に連れられた事で、全身が一気に緊張を
取り戻した。
広い室内に置かれた卓の横で、脇卓にゆったりと身を持たせていた玉鼎だったが、楊戩に気づいたのか
手を差し伸べてきた。
「ここへ来なさい」
自分が何をされるか、知識としては教えられていても、それがどれくらいの苦痛と屈辱を伴うものなのか、
楊戩には全く想像が出来なかった。
本当に、それが行われるかどうかも。
ただ、どうしても逃げる事がかなわないのなら、出来るだけ苦しみたくはない。その為に出来る事があると
すれば、ただ、逆らわない事だ。
玉鼎の傍に近づき、楊戩は正座した。
その瞬間に、ふわりと香の匂いが漂った。
「あれの見立てか。良い香りだ」
練り香は既にすっかり肌に染み込み、さらりとした感触に香りだけが残っている状態だった。それが、仄かに
幼い楊戩の匂いと混ざり合っていた。
触れてきた玉鼎の指は、思っていたより温かかった。
手酌をしていたせいで、彼が酔っている故かもしれない。
「私に捧げられた贄、か」
玉鼎が呟いた。
「私は未だ、弟子を取った事がない。それをわざわざ私に押し付けてきたのだ。
おまえの親の真意は、家の存続以外に、・・・厄介払いか」
ずばりと言い当てられて楊戩は唇を噛んだ。
「長男の方を差し出してきたのだ。そう考えるのが妥当だろう」
「僕は・・・っ」
「哀れだな」
楊戩の後頭部に手を当て、引き寄せると噛みしめられた唇に玉鼎が口づけた。
「んん・・・っ!」
逆らわない事。頭ではわかっているのに。
呼吸が苦しくなって、楊戩は玉鼎の胸を腕で突っぱねた。
「逃げるな、楊戩」
名を呼ばれる。
優しい声音で。それは楊戩に甘く染み渡った。
目を開ければ、すぐ近くに闇を映したかのような玉鼎の瞳があった。何処か物悲しく寂し気に、楊戩には思えた。
吸い込まれそうな闇を見つめているのが辛く感じられて、再び楊戩は目を閉じた。
そして・・・覚悟を決めたように大きく息を吐く。
二度目の口づけは、歯列を割る舌の侵入を伴っていた。
吐息ごと受け止め、飲み込み、楊戩の口内を舌は思うままに弄った。
「あ・・・っ、は、あ・・・っ」
知らず、楊戩は玉鼎にしがみついていた。
その、幼い反応。
唇を離した玉鼎が苦笑した。
「斯様に小さな体では、私を受け入れる事は出来まい?」
揶揄うように、楊戩の頤を擽る。
「私に馴染むよう仕込みはするが、・・・まだ引き裂くには幼すぎる」
「でも、それでは・・・僕は・・・」
この屋敷で存在意義があるのだろうか。
追い返されたりはしないだろうか。
「おまえとまだ交わらぬと言っているだけだ。弄ばぬとは言っていない」
すらりと玉鼎が立ち上がった。
「まずは美しく活けてやろうか」
室内に飾られていた山法師を手にした玉鼎が、そう言い、楊戩を振り返った。



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