洗い上げた洗濯物をいっぱい入れた籠を腕に抱えたまま、楊ゼンは空を見上げた。
晩秋の空は、遠く、高い。はるか先に薄き霞みがかった雲が切れ切れに広がっている。
崑崙で迎えた幾度めかの秋。天空高くに浮かぶ仙界にいても、天は想像もつかないほど先に
あった。
楊ゼンはとん、と籠を下に置き、木の根元に腰を下ろした。
冬が近い今、長く水を使っていた手指は冷たく痺れ、籠を支えているのが辛かったのだ。
「痛・・・」
赤くなった指は痛覚を訴えていた。擦り合わせてもなかなか温まらず、吐息を吹きかけてみる。
体温が触れ合い、抱かれる事を覚えてから初めての冬はすぐそこだった。
何時もより寒さに敏感になっているのがわかる。
ふわりと包んでくる師の腕、きゅっと抱きしめる太乙の温もり。温かい場所にいる時間が長い
から、寒さが余計に身に染みる。
彼らに体の深い部分を開かれ、貫かれるのは苦痛ばかりなのに、離れていると淋しかった。
厚手の袍を纏っていたが、自身の肩をいくら抱いても、少しも温まりはしない。
足を投げ出し、何となく去りがたい晩秋の大気に楊ゼンは身を任せた。
「−−−楊ゼン」
ふいに名を呼ばれて、楊ゼンは驚いて顔を上げた。
固い木の根元に座っていたせいで軋む体を起こし、近付いて来る玉鼎を認め、その大きな瞳を
見開いた。
「師匠、今日はお戻りにならないかと・・・」
朝早くに玉鼎を送り出した楊ゼンは、彼の正装姿にしばらく帰らないと思っていた。仙界の時の
流れは緩やかで、2、3日の不在など、気にするほどの事ではなかったから。
・・・今までは。
「一人寝は淋しいだろう?」
玉鼎がくすりと笑う。楊ゼンの心などわかっているとでもいうように。
「大丈夫です! 小さい頃から僕はずっと一人で眠りについていました!」
掛けられた言葉に、ぼっと血が昇った。
「それは悪かった。おまえを見くびりすぎていたか?」
すっと身を屈めた玉鼎が、洗濯籠を持ち上げた。
止めて下さい、師匠、僕が・・・」
楊ゼンが慌てて手を伸ばすより早く、玉鼎は歩き出していた。少し先で振り返り、楊ゼンを促す。
「おいで。飛行して少し冷えた。熱い茶でも煎れてくれるか?」
「あ・・・はいっ」
背の高い玉鼎においていかれないよう、楊ゼンは小走りに後を追った。


玉鼎の屋敷は、広すぎる大きさにも関わらず、ほんのりと温かい。地下にある湯の湧く泉の熱が
寒い時には温め、暑い夏には蒸気で冷やす構造になっているのだ。
とはいえ、元が石造りの建物なので、外よりはましという程度だが。未だ冬の前であっても、陽が
暮れると室内に火を灯さなければならなかった。
ちゃぷんと水音がした。
西域の赤い茶を出した後、楊ゼンは地下へと誘われた。湯殿にもなっている泉は、すっぽり体を
沈めると心地良い。晩秋の空気に冷やされていたのがゆっくりと溶け出していくのが実感出来る。
「うん・・・」
大きく仰け反った楊ゼンを、玉鼎が引き寄せた。されるがままに楊ゼンは座する玉鼎の腕の中に
収まり、ふっと体の力を抜く。
湯のせいばかりではない熱に、心臓がどきどきした。
濡れた単の布越しに、玉鼎と密着する。何時もは冷たいと感じる師も、今は温かかった。
「師匠・・・」
楊ゼンが玉鼎を見上げた。
「どうした? 楊ゼン」
ほんのり赤く染まった耳元で囁かれ、ぞくりと背が痺れた。
玉鼎の深い声は楊ゼンの心の奥に染み入る。染み込んで脳を刺激し、うっとりとまでさせてしま
う。
幼い頃より、彼の声に対する感覚は変わらなかった。
他の誰も、このように楊ゼンを呼びはしない。
「いいえ、何でも・・・、ない、です・・・っ!」
かり、と耳が噛まれ、最後は小さな叫びになった。
嫌だと首を振っても、抱きとめられていれば、逃れる事など出来なかった。
「あ、あ・・・んんん・・・ああっ」
「私は冷えたと言っただろう?」
背筋をすっと辿られて、幼さを残す背がぴくりと震えた。
「だから・・・、うっ、湯を使われて・・・いる・・・・っっ」
無駄とわかる言い訳。
それは簡単に封じられてしまう。
「ただそれだけなら、おまえを連れたりはしない」
耳を唇で嬲りながら、玉鼎の手が胸元を撫ぜた。
「私を温めてはくれぬのか?」
「は・・・」
恥ずかしくなって、楊ゼンは玉鼎の胸に顔を埋めた。自然、撫ぜられる手を挟む事になり、悪戯に
動く指が乳首を積み上げた。
「ひあ・・・っ!」
抱かれる、と考えただけで下半身にうねりが走る。それに胸の刺激が追い討ちをかけた。
玉鼎に膝に乗せられた下肢は夕べの傷が治まってはいないのに・・・それなのに、疼き始める。
戸惑いを浮かべた楊ゼンの表情を、顎に指を添えて上向かせる事で、覗き込み、玉鼎は軽い
口付けを与えた。
「は・・・あ・・・」
袖に縋った楊ゼンの腕の力が強まった。脱力して滑り落ちてしまいそうになる体を支える為だっ
た。
「もっと・・・」
すぐに離れてしまった唇を、楊ゼンは強請った。
接吻は甘いから。
抱かれる前にはいっぱいして欲しい。
貫かれる痛みも、苦しみも、接吻で少しは中和されるような気がする。
楊ゼンの望みを知っているから、玉鼎はうっすらと微笑し、深く唇を合わせた。

続・暗夜の2話は楊ゼンの視点。次のラストは玉鼎の視点かな。