陽は中天をとっくに過ぎたというのに、夏の炎暑は和らぐ気配すらなかった。
       遮る物
のない空の下、哮天犬で飛んでいると、くらりと意識が霞そうになる。
       頭から日よけの為にすっぽり被った布など、いかほどの効果もない。
       太乙の道府へ宝貝の扱い方を習いに行った帰りなのだが、幾度も通い慣れた道が、 

      今日はことさらに遠く感じられた。
       金霞洞に戻る前に水浴びをして行こう、それから風の入る一番上の部屋に入って・・・
      と涼む方法を楊ゼンはいろいろ考えた。
       汗でじっとり湿った道服が気持ち悪い。夏は楊ゼンが嫌いな季節だった。
     「もう少しだからがんばってくれるかい? おまえも一緒に水に入ろう」
       犬のふさふさした毛並みを撫ぜてやる。首の後ろの好きな所に触れると、頭を振って
      くうんと鼻を鳴らした。
       そのひょうしにバランスが崩れた。
     「うっ、わあ・・・っ」   
       落とされないように楊ゼンは哮天犬の毛を掴んだ。宙を泳ぐようによたよたと一人と
     一匹は玉泉山に降りて行った。


       木に引っ掛けて破いてしまった袖や裾と、乾ききらない髪から雫を落としながら、楊ゼンは
     金霞洞に帰りついた。
       そのまま最上階の部屋へ向かう。外から見えないように、四方の壁には透かし彫りが
     施されてはいるが、その部屋には風を遮るガラスはなく、自由に吹き抜けていく造りになって
     いた。
     「楊ゼンか?」
       薄暗い室内には、楊ゼンと同じように涼を求めていた玉鼎がいた。
       紫苑の道服を緩やかに纏い、窓辺にもたれて書を膝の上に紐解いている。
     「師匠もこちらでしたか」
     「ああ。今日は暑いな」
       手招かれて、楊ゼンは玉鼎の向かいに腰を下ろした。
       風が吹く。
       先ほどまでの暑さが遠のいていくのがわかる。
     「水にでも落ちたか?」
       玉鼎が笑った。
     「暑かったから帰りに川に寄って来ました」
     「ならば、水気はきちんと取ってくる事だ」
       楊ゼンを引き寄せ、纏っていた長布で髪を包んで拭う。
     「師匠!」
       いささか手荒に扱われて、楊ゼンが抗議の声を上げた。
     「おまえが悪いのではないか」
       玉鼎は破れた袖から覗く手首の擦り傷に口付けた。
     「ん・・・っ」
       舌が傷口を舐めた。とたんにどくりと楊ゼンの鼓動が跳ねた。脈の速さが頭に地を
     昇らせる。 
       怯えて楊ゼンは腕を取り戻そうとした。したつもりが逆に手を掴まれ、密着するまで
     抱き寄せられた。 
       ひんやりとした玉鼎の体温が薄い単衣を通して伝わった。
     「どうした?」
     「いえ・・・」
     「何を怯える?」
     「僕は何も・・・」
     「何時から嘘をつく事を覚えた?」
       吐息が近づいたのと、唇が奪われたのは同時だった。
       楊ゼンはぎゅっと瞳を閉じた。接吻を受ける時は開いてはいけないと教えられた通りに。
     本能的に。 
       触れた玉鼎の唇は、体と同じように冷たく、そして少しだけ甘かった。
     「や・・・だ・・・っ」
       僅かに唇が離れる度、拒絶の言葉が漏れるが、封じ込めるように角度を変えられ、数え
     きれないほどくりかえされるキス。
     「こんなに濡れて・・・私を誘ったおまえのせいだ」
     「師匠がいらっしゃるなんて・・・」
       体が倒され、床に縫い留められる。
       見上げた玉鼎の瞳には先ほどの笑みの名残があった。しかし、それが怖い。 
       玉鼎に抱かれるのは、狂わされるという事だから。
       楊ゼンの持つ、自我も意識もプライドも、全てを投げ出して支配させられる行為。
       ただ、楊ゼンだけが。
       熱い体を幾度重ねても、玉鼎は導く側であり、決して乱れはしない。反して楊ゼンは自分を
     保とうとしているのに、波にさらわれ追い詰められていくのだ。
       例え酷く扱われたとしても、玉鼎によって開花させられ、抱かれる事を教え込まれた体は
     反応する。
       慣れる事のない痛みは快感に、押し広げられて突き上げられる圧迫感は甘い痺れに。
       知らず流れる涙は水晶の雫。もう何もわからなくなってしまう。
       濡れた衣服は簡単に取り払われた。薄暗い室内も、楊ゼンを隠す助けにはならない。
       人にしたは白すぎる肌に、昨夜つけられた跡が残っているのに玉鼎は気づいた。
     「赤い色がよく似合う」
       散らされた花びらのような緋色は、晒されている体の全面にも、背中にも、秘められた場所にも
     余さず撒かれていた。
     「ひ・・・っ」
       ざらりと胸の突起をなぞられて、楊ゼンが仰け反った。 
       苛まれた痕跡が生々しく、腫れて立ち上がっているしれは、微かに触れられるだけで、
     すさまじい刺激を楊ゼンに与える。
     「あ、あぁ・・・・!」
       執拗に同じ箇所を弄られて、楊ゼンが逃れようと身を捩った。
       敏感すぎるまでに研ぎ澄まされた神経が焼かれていく・・・気配。
     「離して、そこを触らないで・・・っ!!」
     「楊ゼン」
       一言、呼ばれた名前。
       宙を彷徨っていた腕が、逃げを打っていた体が、ぴたりと止まった。
       海を思わせる瞳がゆっくりと見開かれた。蒼天を映した髪と対を成す、深い碧。
     「・・・楊ゼン」
       再び。
       楊ゼンは縋る先を見つけ、玉鼎にしがみついた。
     「良い子だ」
       大人になりきらない細い背に手を回し、玉鼎は深く受け入れさせる為に、楊ゼンを抱え起こした。