そよそよと風が吹いていた。
開け放った窓から入るのは、夜の冷気を纏った涼風。
太乙が薄く瞳を開いた。暑さのせいだけではないのだが、どうにも良く眠れない。
金霞洞の玉鼎の屋敷である。主と、弟子と訪問者の三人で一つのベッドを使うの
はいつもの事だ。しかし、柔らかい幼児を玉鼎と挟んでいるのはどうにも落ち着かない。
更に、今玉鼎が起き上がり、部屋を出て行ったのだから、太乙は完全に起きて
しまった。
横にいる角を生やした頭に触れる。
「ぐっすりだ。安心しきった顔して。これで一人で寝てくれるようになったら、私は嬉しい
んだけど」
永い時間を独占してきたこの場所に、当然のようにいるのが小憎らしい。
夜一人で置くと夜泣きをすると玉鼎は言うのだ。もう少し大きくなれば、楊ゼンの癖も
直るだろうが、それまでどれだけの日をうっとおしい思いで過ごさなくてはならないのか?
「ああ、もう眠れない」
太乙は玉鼎を追う事にした。
瞬く星明りが、周囲の闇に沈むのを妨げる。燭も灯さず、太乙は気配を頼りに歩いた。
テラスの方か、と首を傾げ、外へ通じる扉を開いた。
そよぐ風が太乙の髪を嬲った。
慌てて押さえて巡らせた視線の先に、テラスの柵に腰掛ける玉鼎が映った。
「どうした? 太乙」
「玉鼎も眠れない?」
振り向いて、玉鼎が微かに笑った。
「おまえもか」
「楊ゼンに蹴飛ばされてね。・・・ってのは嘘だけど。師兄が出て行く時に起きた」
「それは悪かった」
「気にしていないよ」 
太乙が柵に身を寄せた。
「ねえ。もっと涼しい所に行こうよ」
「この時間にか?」
「楊ゼンはぐっすりだし、夜の散策もいい趣向だと」 
ふいに玉鼎に髪を撫ぜられ、太乙が上を見上げた。
「妬いているのか? ん?」
「そうだよ、悪い?」
身を翻して、風に乗るように玉鼎から離れる。
「あの水のいっぱいある岩棚がいいな」


玉泉山の西は主に石灰岩で出来ていた。その方角だけ、緑がまばらになるのがわかる。
石灰は植物が生きにくい場所なのだ。
白い岩が永い年月をかけて段々に削り取られた下に、いつからか水脈が移動していた。
地中深くから湧く水は、夏だというのに身を凍らせるほど冷たい。
それがかえって頭を冴えさせる、と太乙は流れる川よりここを好んだ。
綿の城の名をつけたのもまた、彼である。真っ白で水に溶け出している石灰は、見ように
よっては綿を思わせたから。
太乙は水際にぽいぽいと靴を脱ぎ捨て、暑さに火照った脚を浸した。 
「うん、気持ちいい」
子供のように水を跳ね上げた太乙が背後の玉鼎を振り仰ぐ。
「師兄の所は川があって、石灰棚があっていろいろ楽しい。座って」
玉鼎の手を引き、隣に座らせた。
自分より大きな体にそっと凭れかかる。
「太乙」
「して、欲しい」
紫を帯びた太乙の瞳が猫のような光を浮かべた。艶やかな色までも、纏わせている。
腕を玉鼎の首に絡めた。
「仕方のないやつだ」
「それは前から知っているはず」
煩い口を封じようと、玉鼎が接吻した。
「・・・んん」
交わる吐息。
甘くて、僅かに・・・苦い。
太乙が玉鼎の道服を探った。襟元を寛げ、曝した胸元に指を這わせる。
「好き・・・玉鼎・・・」
「もう、黙れ」  
「うん・・・そうする」
浸したままだった脚が折り曲げられ、水から離れた。ひやりと冷えた両足の先に空気が
触れて、太乙は体を震わせた。
雫が垂れた。
「脚、寒い・・・」
玉鼎が、その脚に手を添える。
「何を・・・っ!」
躊躇いもせず足指を口に含まれて太乙が悲鳴した。
生温かい感触が、脳裏にじんと響いた。
「止めて、玉鼎、やだっ」 
性感帯が足先にあるのを、初めて太乙は知った。そんな彼の反応を楽しんでいるのか、
玉鼎は執拗に足指を責めた。
太乙は解放された時には体中から力が抜け、肩で大きく喘いでいた。 
「あなたは意地悪だ」
「おまえが強請ったんだ。まだ何も始まっていないに等しいのに、その態は何だ。もう止めても
構わないが。望むなら」
きっと太乙が振り向いた。
「嫌だ」
「・・・わかった」
抱きしめられた体に身を摺り寄せ、太乙は瞳を閉じた。